窓のそと(Diary by 久野那美)
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2000年11月23日(木) |
具体的で生産的で美しいこと。 |
ものすごく動揺することがあったとき。とっても悲しいことがあったとき。 とにかく「具体的で生産的で美しいこと」が無性にやりたくなる。 自分の中にある、もやもやしたわけのわからない熱量がきちんと運動エネルギーに変換されていくのを感じると、少しずつ気持ちが落ち着いていく。たとえ落ち着かなかったとしても、社会的にトラブルが起きるようなことではないし、私の感情に無関係・無関心なひととも、作業の結果を通じて有意義に交流することができる。
いちばん手っ取り早いのが料理。 野菜を切って、肉をたたいて、煮て、揚げて、盛りつけをする。 動揺の度合いが大きいほど作業行程の複雑なもの、作業の面倒なものが食卓に並ぶ。 これ以上簡単で具体的で生産的で美しい作業は思いつかない。 だから動揺したり混乱したりすると、私はよく天ぷらを揚げる。 他にはいなりずしとかババロアとかアイスクリームとかが最高値のメニュー。
あるいは何かの「手続き」をする。 市役所へ書類を提出する、電気料金を払いに行く、携帯電話の機種を替えてみる…。 そんな程度では足りなくなると、以前はよく引っ越しをした。 2年に1回くらい引っ越してた時期もあった。 あいまいで抽象的な「感情」は、「引っ越すという行為」を通して、猛烈に「具体的で生産的で美しい」ものに変換されるのだ。
最近はデータベースソフトの作成に填っている。おかげで、仕事も、公演のDM送付や予算管理もずいぶん楽になった。 そういうことに填っていても、私がどんなに動揺し、どんなに悲しんでいるのかたいてい誰にも伝わらない。 それは問題といえば問題かもしれないけど、いいことだといえばいいことだとも思う。
「具体的で生産的で美しいこと」って、なんだか切ない。
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