2007年02月27日(火) |
釈由美子は元ワンダフルギャルである |
サイパンや台湾などの南国では、天皇陛下に対してこんなことを言う人もいる。
「太平洋戦争がなかったならば、私は今でもあなたの臣下です。」
2005年、天皇陛下がサイパンを訪れることを決めた時、例によって 韓国人が反日・反天皇デモを行おうとしたことがあったのだが、その時も 「もし韓国人が天皇陛下に抗議するなら、我々は韓国企業をボイコットする」と サイパン住民は“天皇陛下のために”戦ってくれていた。 (おかげで訪問は実現した。ちなみに天皇陛下は韓国人戦没者の慰霊も行った)
ttp://wkorea.exblog.jp/1116956/ ttp://www.abc.net.au/ra/news/stories/s1400138.htm
同様に南国・パラオ共和国も台湾などと同様に親日傾向が強く、 今も「日本人と一緒に戦った」ではなく「日本人として戦った」と言うのだという。
こうして見てわかる通り『日本が統治した国々』から嫌われることなどないのだ。
唯一、中華思想とウリナラマンセーに毒された韓国を除いて。 (この点に不自然を感じないのも韓国人だけである)
日本は第一次世界大戦後、国際連盟からパラオの委任統治を求められたため たくさんの移民を送り、産業、教育、文化の発展に大きな功績を残した。だが、 第二次世界大戦後にこの地域を占領したアメリカが日本文化の影響を徹底的に 破壊した。学校の校庭にあった二宮金次郎像も引きずり降ろされ、毎朝村人が 集まって日本海軍岡田中将から「この美しいパラオを一日も早く自分たちの 手で治めるようにせよと」と訓示を受けた思い出の場所『南洋神社』も壊された。
パラオ人は大いに悲しみ、子供に日本神道にちなんだイシドウロウ(石灯籠) という名前をつける人もいたほどである。そしてアメリカ統治下でも勤勉の 精神を教えてくれた日本人を心の中で敬い、日本統治時代が最もよかったと 懐かしみ、後に南洋神社を再建させている。
そのような国であるため、パラオは自ら「日本に併合して欲しい」と申し出た という話も聞く。これは余談になるが、ハワイも独立した王国だった時代に、 日本の皇室にハワイの王女を嫁がせようとしたことがある。
1881年、ハワイのカラカウア王は当時から正式に国交のあった日本に自ら訪れ、 日本はアジアの盟主となって欧米の侵略からハワイを含む弱い立場の国を 守ってくれるよう明治天皇に申し入れた。しかし天皇陛下は当時のアメリカとの 国力差を考え、摩擦を慮ってそれを丁重にお断りした経緯がある。
韓国のように「希望通りの強国(日本)に併合されること」などどんなに願っても簡単には 叶わないことだというのに、希望通りに併合してもらった韓国だけが今になって 喚き散らしているのはおかしなことだ。
伊藤博文も朝鮮の併合には反対していたように、日本にとってのメリットも少ない。 当時の経済学者が朝鮮半島を調査したところ、借金だらけな上に 10世紀レベル(約1000年遅れ)の後進国だったので、 政府首脳部は腰を抜かしたという。 「そんな国家を併合して、どうするのだ?」と。
しかし日本はその怠慢で不潔で金にルーズな朝鮮を 「内戦でボロボロのアフガニスタンですら先進国にできるくらいの莫大な資金」 を投じて清潔で豊かな近代国家に作り直した。
韓国はその幸運により飛躍的な発展を遂げることができたのだが、それに対し 全く恩義や感謝を感じていない。それどころか何とか恩を歴史から消して 飛躍的な成長という「奇跡」を自分の手柄にしようと躍起になっている。
これは宗主国が日本でなく欧米の国だったら怒り狂うような不遜な態度である。 欧米の圧政に苦しんだ植民地ですら「宗主国の統治が近代化に寄与したこと」は 当然の『事実』として認めているのだから。
一方パラオは恩義を忘れていなかった。 パラオは1994年にアメリカから独立した時、日本の国旗である日章旗を モデルにした月章旗を作り、自国の国旗にした。日本の日の丸が太陽を 模しているのに対し、パラオはほぼ同じデザインの色違い(青地に黄丸)で 太平洋に浮かぶ月を象った。ただ、パラオの国旗の月は日本の太陽と違い、 中心から微妙にズレている。これは謙虚にも「同じでは日本に失礼だから」と、 わざと中心をはずしたのだという。 ※「旗がなびいた際に満月が中央に見えるようにデザインした」との説もある。
パラオは日本の国旗を元に自国の国旗を作り、しかも日本の心も忘れない。 現地民に愛された日本統治と、受け継がれる礼儀正しい民族性が現われている。
ちなみにパラオの国定教科書では全462ページのうち36ページが 日本統治時代にあてられ、章には「日の丸の旗のもとに」というタイトルが つけられている。どの統治国にも日本は教育に厳しかったが、それらの教えも ルールも単純な賛美や糾弾ではなく客観的に事実が教えられている。
また、今でもパラオでは日常的にたくさんの日本語(たとえば「扇風機」 「大丈夫」「浴衣」「どうぞ」「大統領」など多数。日常的すぎて現地の 若者はそれが日本語であることを意識してないほど)が残っていたり、 「桜」の樹がない国にも関わらず、桜の花に抱く美しいイメージだけで歌を作り、 今も愛唱されていたりと、台湾よりもさらに日本を愛する傾向が強い。 日本の統治が終わった時にはパラオでも米国による反日教育が行われたが、 年長者に「そんな話はない」とあっさり否定され、浸透しなかった。
ちなみに一部の州では英語と日本語が併記されており、特にアンガウル州では アウンガル語、英語に並び、日本語が公用語として使われている。 (これは日本以外で日本語を公用語として使っている唯一の例である) また、パラオ人の『8割』はその姓名のどちらかに『日本式の名前』を 付けているといわれている。
また、毎日新聞のコラムにこんなパラオの話が載ったことがある。
遠い南の島に、日本の歌を歌う老人がいた。 「あそこでみんな死んでいったんだ……」 沖に浮かぶ島を指差しながら、老人はつぶやいた。
太平洋戦争のとき、その島には日本軍が進駐し陣地が作られた。 老人は村の若者達と共にその作業に参加した。 日本兵とは仲良くなって、日本の歌を一緒に歌ったりしたという。
やがて戦況は日本に不利となり、 いつ米軍が上陸してもおかしくない状況になった。
仲間達と話し合った彼は代表数人と共に 日本の守備隊長のもとを訪れた。自分達も一緒に戦わせて欲しい、と。 それを聞くなり隊長は激高し叫んだという
「帝国軍人が、貴様ら土人と一緒に戦えるか!」
日本人は仲間だと思っていたのに……みせかけだったのか。 裏切られた想いで、みな悔し涙を流した。
船に乗って島を去る日 日本兵は誰一人見送りに来ない。 村の若者達は、悄然と船に乗り込んだ。
しかし船が島を離れた瞬間、日本兵全員が浜に走り出てきた。
そして一緒に歌った日本の歌を歌いながら、手を振って彼らを見送った。 先頭には笑顔で手を振るあの隊長が。
その瞬間、彼は悟ったという。 あの言葉は、自分達を救うためのものだったのだと……。
「パラオの統治者である日本軍」としては、パラオ諸島の小さな島・ペリリュー島の 民間人を“圧倒的不利な戦局”に巻き込んではならないと配慮したのだ。
そして船舶も乏しい中、空襲を避けて夜間に船を出し、住民の全員をパラオ本島に 避難させたのである。
そして日本軍はパラオを死守するために文字通り死を覚悟して戦った。
日本は圧倒的に不利だった。アメリカに制海権・制空権を掌握されている上に、 兵力14倍、航空機200倍以上、戦車100倍、重火砲1000倍という 歴然たる戦力差。しかしそれでもアメリカの上陸作戦史上最高の損害比率を 出させるほどに抵抗し、全く補給もなく73日間も守り通し、玉砕したのだ。
最期に『サクラ・サクラ』という電文だけを残して。
その戦いの甲斐あって最大激戦地・ペリリュー島での民間人死傷者はゼロだった。
戦争後に島に戻った島民たちは、放置されていた夥しい数の日本兵の 亡骸を泣きながら埋葬した。後にペリリュー島のオキヤマ・トヨミと ショージ・シゲオが“ペリリュー島の玉砕戦”を、日本の国花・桜に託して 作った『ペ島の桜を讃える歌』は、今でも彼らに愛唱されているという。
後にペリリュー神社は青年神職南洋群島慰霊巡拝団やイサオ・シゲオ尊長ら 島民の手により「すべて日本から運搬した材料を使って」再建された。
この神社の前には戦中は敵だったアメリカ太平洋艦隊司令官 チェスター・W・ミニッツの言葉でこんなことが書かれている。
「この島を訪れる、もろもろの国の旅人たちよ。 あなたが日本の国を通過することあらば伝えてほしい。 此の島を死んで守った日本軍守備隊の勇気と祖国を憶う、その心根を。」
ちなみにパラオに存在するこの神社は、 天照大神と戦死者一万余名の「護国の英霊」を御祭神とする神社である。
パラオ共和国大統領トミー・E・レメンゲサウ・ジュニアは、敗戦から復興し 様々な分野において世界を牽引する力になっている今日の日本を称え、また、 戦時中のパラオ統治に今でも感謝し、パラオは世界で最も親日感情が高い国と言った。
そして当時を知るパラオの長老たちは今でも日本をこう呼ぶという。
「内地」
と。
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このように、日帛関係(パラオは漢字で「帛琉」)は一貫して良好である。 ただ、両国関係にとって残念な出来事もあった。
パラオ銀行の創設者、増田俊男氏がこんなエピソードを語っている。
「村山内閣が誕生した1995年の10月1日、パラオでは独立1周年を 祝う式典がくりひろげられた。 各国の元首から祝電が届き、米国海兵隊のパレードやチャーター機で 乗り付けた台湾の歓迎団、アジア諸国の民族ダンス等が式典場のアサヒ グランドを埋めつくした。 一年前の独立達成の時、日本の国旗が空に輝く太陽であるのに因んで、 パラオは大海原に浮かぶ月、紺碧の海に黄色の月を国旗にする事を決めた。 この日各国の代表が振る色とりどりの国旗の中に日の丸の旗は無かった。
そして全パラオ人が待ち望んだ日本政府からの祝電を読む声は遂に 聞くことが出来なかった。
私より何百倍もナカムラ大統領は悲しんだ。私に同伴して式典に出席した 江尻真理子氏と私は金持ちになった日本人ではなくパラオのペリリュー島の 激戦で戦死した日本兵1万2千名の精霊を代表して日本政府の無礼を 大統領に深く陳謝した。 悲しみと、怒りに大統領の指がわずかに震えていた。 二宮尊徳と日本の心はマッカーサーに破壊されたままなのかと思った。」
パラオの独立一周年の式典に祝電すら打っていないのは社会党の 村山富市首相。 つまり中国に媚を売り、「中国様に教えてもらったデタラメな歴史」を 勝手に肯定して、日本の誇りと金をドブに捨てたことで、売国奴の 代表格として知られる、あの村山首相である。
ちなみに小泉首相は去年の10月、『パラオ独立10周年記念日』に ちゃんと祝電を贈っている。
村山以降も、最近では社民党の辻元清美(帰化朝鮮人、夫婦で赤軍派)などが 日本とパラオを離反すべく工作をしていたが、2005年7月6日に来日した パラオのタミイ・レメンゲサウ大統領は、単に日本の常任理事国入りを支持 するだけでなく、国連改革案の共同提案国にまでなってくれた上に、 「最後まで日本を支持したい」と表明した。さらに靖国参拝にも 「すべての人のために祈るのは正しいこと」と支持を表明した。
つい先日、2005年7月10日には、同じく日本が統治したソロモン諸島の ケマケザ首相は以下のように述べて靖国神社を参拝した。
「日本とソロモン諸島の共通の文化は先祖に感謝すること。 英霊が祭られている場所を拝見したい」 (2005年7月12日 東京朝刊)
ちなみに靖国神社へ公式参拝をした国はインドネシア・スリランカ・タイ・ インド・ドイツ・スイス・フィンランド・ポーランド・ルーマニア・ロシア・ フランス・イタリア・リトアニア・スロベニア・エジプト・チリ・ブラジル・ イスラエル・トルコ・アメリカ・オーストラリア・アルゼンチン・トンガ・ スペイン・ペルー・ベトナム・カンボジア・シンガポール・台湾・パラオ等、 第二次大戦の『戦勝国も敗戦国も両方含んだ世界中の国々』。
そして靖国神社参拝に因縁をつける国は『中国と南北朝鮮だけ』である。
どうして靖国参拝が軍国主義や平和に反することに繋がるだろうか。
これらを見ての通り、異常なのは中国や韓国である。 併合とか植民地とか、そんな問題ではないのである。
やはりこれは「いかに正しい教育が大切か」を示しているといえるだろう。
そしてこれらは韓国や中国の「日本人は嫌われている」という主張が 真っ赤な嘘(中国・韓国の国益のための情報工作)であることをも示している。
つまり中国や韓国が大声で叫ぶ「アジアが日本を恨んでいる」とか 「世界の人々が日本を嫌ってる」「日本は国際社会で孤立している」などという 決まり文句は、 『中国人、華僑中国人、朝鮮人、在外朝鮮人が反日活動をしてる』 というだけのことを「アジア・世界・国際社会」などに拡大解釈しているに 過ぎないのである。
以上、引用
特定アジア死ね
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