2002年07月29日(月) |
大企業 大店舗の挫折 |
農業用共同水源の当番のため6時起床。 久しぶりに見る田圃の稲は、株を大きく広げて葉には朝露を光らせている。 その葉が黄色みを帯びているのは、7月中頃に散布した中間追肥が効いて窒素分が 抜けているせいだ。しばらく放っていたけれど、作物は季節の経過通りに育っている。 自分の46aの田圃は、水当番に合わせて中干しをするつもりだった。だから早くに終わるだろうと腹づもりしていたのだけれど、やっぱりこの暑さだ。田圃が乾燥ぎみなので時間がかかってしまい、終了は4時になってしまった。 待ち時間の間は、資料の整理をしたり、高校野球の決勝戦をテレビ観戦したり。
夕方までの時間に商店街を歩く。商店主の知人と行政課題について話すためです。 西条市の商業事情について、知人はズバリ的を得た話をしてくれた。毎日毎日生き残りを掛けて必死で働き、社会情勢の変化を身をもって感じている現場の人の意見は鋭い。 外国からの圧力で大店法を改正し、大きいことは良いことだ、と大店舗が来ることをみんなは歓迎した。だが、商圏内の全ての零細企業を淘汰したうえででないと利益が上がらないような売り場面積の設定など、どだい成り立つ訳がない。結局地域を騒がせただけで終わってしまった。 私たちは地域に密着し、お客様の支持に支えられて生き残って来た。地元のお年寄りは身近なところでしか買い物をしないのよ。そういう人を大事にしていれば、小さいは小さいなりにこれからだって生き残れるのよ。 合併だって同じじゃあないの。今それを推進している人達は、大店法を支持して地元をぐちゃぐちゃにした輩と同じじゃあないの。よくよく中身を吟味してかからないと、あとで後悔する事になりかねないと僕は思うけれどね。 僕の思うこと違う一色さん。 私はうなずくばかりだった。 人は経験によって利口になる。改革などという美名のもと進められた社会の変化 の中で、片隅に追いやられ苦渋をなめながらも生き残ってきた者は、改革者の皮をかぶっている者の正体を既に見破っている。 私は知人の話を聞きながらそう感じた。 ただ残念な事は、そんな人間はまだまだ少数に止まっているということだろう。
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