渋谷ユーロライブにて、選考委員を務めた菊島隆三賞の受賞作品「百円の恋」上映と脚本を書かれた足立紳さんへの贈賞式。
「脚本家が選ぶ脚本賞」ということで、贈賞式もとことん脚本尽くし。佐伯俊道選考委員長の歯に衣着せぬ選評は潔さと懐の深さが感じられて勇ましく、加藤正人さんの熱のこもった贈賞スピーチからは、足立さんへの惚れ込みっぷり、期待っぷりが大いに感じられた。
佐伯さんだったか加藤さんだったかが、月刊シナリオに掲載されていた足立さんのエピソードを紹介。映画の現場で知り合って結婚した奥さんが、いつか自主映画を撮りたいと貯めていた二百万円を「あなたが撮って」と足立さんに託したという。「百円の恋」の次は「二百万円の嫁」という映画をぜひ、と言って会場のあたたかな笑いを誘った。
そういえば、菊島隆三賞も、菊島氏を支えた妻・宮子さんが菊島氏の遺産の一部をシナリオ作家協会に寄贈されて創設されたとか。
「百円の恋」脚本を見出した松田優作賞を主催する山口市の周南映画祭からお祝いに駆けつけた大橋さんのスピーチがこれまた熱かった。
高校時代、いじめられて死ぬほど思い詰めたときに駆け込んだ映画館でかかっていたのが「野獣死すべし」(主演:松田優作 脚本:丸山昇一)。映画に救われた自分が映画で誰かの力になりたい、という思いが直球で胸に届いた。地元出身の松田優作の名を冠した脚本賞を立ち上げ、第一回の募集に寄せられた151本をすべて読み、朝4時に最終選考作品を選考委員に伝えたときには、「百円の恋」が獲ると確信していた。いろんなものへの愛がこみ上げて入り交じって涙があふれる大橋さんを見ていたら、こちらも涙がじわり。
さらに足立さんの受賞スピーチがしみた。大好きな野球にたとえると「百円の恋」の脚本を書いていたとき、自分は6回裏で20点負けているような状況で、一緒にやっていた武正晴監督とプロデューサーはさらに追い込まれて7回裏で20点差つけられていた。「ここから逆転はできなくても、せめて一点返してやりたい」と思っていた。営業がヘタクソで、出来上がった脚本を持って回っても、なかなか相手にされなかったが、いいホンだからぜひ読んでくれと売り込んでくれた人たちがいて、形にできた。そして、20点差で負けている自分のそばで、一人チアガール状態で応援してくれた妻に何よりも感謝したい……。
二十点差の夫と、二百万円の妻。面白い脚本を書く人自身に、ドラマあり。
贈賞式内トークセッションでは、「百円の恋」主演の安藤サクラさん以外、登壇者は全員脚本家。受賞者の足立紳さん、菊島賞選考委員の筒井ともみさん、脚本「百円の恋」を見出した松田優作賞選考委員の丸山昇一さん、そして司会はわたし。
大先輩の丸山さんと筒井さん、脚本家がいま最も口説きたい安藤さんを迎えて、進行がつとまるのやら…と不安を抱えつつも、「脚本家が聞きたいことを聞こう!」と開き直り、いざ本番。
安藤サクラさん登壇の前に、前半は、足立さん、筒井さん、丸山さんで。「百円の恋」脚本の魅力と、映画「百円の恋」が成立するまでのお話をうかがう。
足立さんとは最近何度か会う機会があり、娘さんが生まれた頃、8年ほど前に百円ショップで働いていた経験が作品につながっているとうかがっていた。その部分を掘ってみた。
レジで堂々とスポーツ紙を読んでいる「百円の恋」の野間のようなふざけた勤務態度で、3か月でクビになったという足立さん。20歳くらいの店長に電話で説教されているのを横で聞いていた奥さんに「客いないんだから、いいじゃんね?」と言ったら、「人としてまずまともに生きろ」とガツンと言われた。(さすがは二百万円の嫁!)それで目が覚めて書き溜めたプロットが「百円の恋」や先日放送された「佐知とマユ」(創作テレビドラマ大賞受賞作)の原型になったそう。眠っていた種が昨年から次々と芽を出し、花開いているような印象があるが、「このままではいかん!」という危機感が熱量に変換され、キャラクターに宿ったのかもしれない。
それから何年かして、自分以上に負け越していた武監督と何か一緒にやろうとなり、「好きに書いてみろ」と言われて書いた「百円の恋」。あちこちに売り込んでも良い返事はなく、松田優作賞に応募し、受賞したことで映画化に弾みがついた。
今これだけみんなが「好き!」というホンが、どうしてそっぽを向かれていたのか。時の流れ、時代の流れで、ホンは変わらなくとも風向きが変わっていったのか。もちろん、強力に推す人たちの地道な努力の積み重ねもあったのだろう。そして、書いてすぐに実現していたら、安藤サクラの一子は見られなかったかもしれない。
タイミングも運のうち。「百円の恋」は、出るべきタイミングで世の中に打って出た。
松田優作賞の話になると、丸山さんのエンジンがかかった。話しだしたら止まらない、なおかつ面白い丸山さんが安藤さん登壇の時間を過ぎても話し続け、いつ割って入ろうかと思ったら、ちょうど丸山さんの口から「誰が一子を演じるか次第だ」みたいな発言が出たので、そこに乗っかって安藤さんを招き入れることができた。
一方的に存じ上げている安藤さん、ご本人にお会いしたのは初めてだったけれど、話す言葉も感覚的身体的で、とらえどころがないようで、この人にしかできない表現で、その意味をつかまえようと手を伸ばしたくなる不思議な魅力。どんな役にも染まれる女優の変幻自在な器を見るようだった。
脚本を大切にし、忠実に演じようとする姿がうかがえてうれしくなった。セリフを変えるかどうかではなく、脚本家が脚本に託した思いを敬意を持って受け止めてくれる、そこに感激したのだけど、「てにをはさえも変えないと聞いてうれしくなりました」と言うわたしの拙い司会では、一言一句変えないことを役者に求めているように受け止めてしまった人もいたかもしれない。「(不本意に)変えられるのは脚本が悪いとき」だという丸山さん、「私は変えられたことがない」という筒井さん(そもそも初稿でオッケーを出される方!なのでわたしとはレベルが違う)の言葉を引き出せたのはケガの功名。
「私からも質問していい?」と筒井さんが、ラストについて質問。選考会のときにも「ラストはこうじゃないと思う」と話されていた。すると「あれは2テイク目です」と安藤さん。まずはテストで脚本と違う形を演じてみた。それがあったから脚本の形のラストを演じられた、と。脚本と演じ手のせめぎ合いをうかがえて興味深かった。
脚本家は、キャラクターに持たせられるだけのものを持たせて役者に託す。それをどう受け止め、膨らませるか。脚本家と役者のそれぞれがどんなことを考えているかを聞けるトークも菊島賞ならでは。安藤さんが豊かな手の動きとともに「この不思議な関係」と称されたような記憶がある。夢中のうちに過ぎた一時間、をちょいと超過。あわてて締めて、肝心の足立さんへのお祝いの言葉で締めるのを忘れてしまった。
足立さん、おめでとうございます!
「百円の恋」で一点どころか、だいぶ返せたと思うけど、足立さんにはまだまだ点を返して欲しいし、痛快な場外ホームランをまだまだかっ飛ばしてください。
菊島隆三賞という脚本家の名前を冠した脚本賞は、まさに脚本家自身をたたえるものであると同時に脚本家全体へのエールにもなっている。そうしみじみ思えた授賞式だった。
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