昨日のネグレクト(わたしはそのつもりはなかったけれど、たまにとっては……)の反省をふまえ、保育園登園自粛2日目は、パソコンを封印。普段は「ママはおうちでパソコンするのがお仕事。たまちゃんは保育園で遊ぶのがお仕事」と言い聞かせているのだけど、今日は、たまと一日遊ぶことを仕事にする。
家にいるとついパソコンを開いてしまうので、外に出ることに。パソコンを封印する前に映画チェック。高樹のぶ子さんの原作『マイマイ新子』を読んでいた映画『マイマイ新子と千年の魔法』はどうだろうと予告を見せると、ワンエピソードをたっぷり披露する見応えのある長尺。主人公の小学生・新子が転校してきたクラスメートの持ってきた舶来のウィスキーボンボンで酔っぱらうシーンで、たまは「よっぱらったの えいが みるぅ」と乗り気になった。
劇場の新宿ピカデリーに着いたのがぎりぎりで、上映が始まったところで席に着く。中高年の女性で9割方埋まっていた。絵がきれいで、なめらかで、すーっと物語に引き込まれる。たまはわたしの膝の上で目を見開いて、見入っていたが、よっぱらったの場面を見届けると、ほっとしたようにすとんと眠りに落ちた。
原作を読んだのは、わたしの子ども時代のあだ名が「マイマイ」だったという親近感からだったが、わたしの場合は名前の「イマイマサコ」が由来で、物語の主人公のほうは、マイマイはあだ名ではなく彼女の特長的なつむじのこと。何かをひらめいたり一生懸命考えたりするときにアンテナのようにつむじのところの前髪がピンと立つ。(後になって、たまは自分の前髪を持ち上げて「マイマイ」と言っていた)
原作を読んだときはそんなことはなかったのに、映画を観ていると、主人公の新子と都会からの転校生がわたしと幼なじみのヨシカの関係に重なって、自分たちの小学生の頃を見ているような気持ちになった。活発で正義感の強い新子はヨシカそのもの。大人になってからの同窓会で「ヨシカちゃんとマイマイは太陽と月みたいやった」と言われたけれど、わたしはヨシカの眩しさと明るさに引っ張ってもらっていた。でも、映画では新子はスポーツよりもお話を想像することが得意(モデルが作者の高樹さんの子ども時代なので納得)で、そんなところはわたしに似ている。
ヨシカとわたしは、自分たちのきょうだいや近所の子たちも巻き込んで、とにかくよく遊んだ。わが家が隣に越してきて、喧嘩を売られた出会いに始まり、両家を隔てるブロック塀越しの睨み合いと喧嘩の日々を経て、やがてブロック塀は鬼ごっこの舞台となり、ヨシカとわたしは口笛で互いを呼び合う仲になり、小学校に上がると一緒に登校し、中学校になってもそれは続き、別々の高校に進み、わが家が引っ越し、わたしが大阪を離れ、関西を離れ、少しずつ会う機会が減っていった。
そして、ヨシカはドイツへ飛び、そこから四年前に天国へ飛んだ。
2004年06月20日(日) 日本一おしゃべりな幼なじみのヨシカのこと
その事実はいまだにわたしの中では消化できずにいて、日本にいないことは確かだけど、あの元気がありあまってた子がお墓でおとなしくしているとは思えず、留学先のドイツにまだいるような気もする。
だから、ヨシカがいなくなったことに対して、いまだに涙を流せないでいるのだが、マイマイ新子のラストを見ながらじんわりとあふれた涙を押し出したものは、もう会えないヨシカと、彼女と過ごした日々へのどうしようもない懐かしさだった。
大人から見ればちっぽけな世界で、自分と、自分の大事なもののために精一杯生きていたあの頃が無性に恋しく思える、いとおしい映画。原作とは違った味わいがあり、スクリーンで観られて良かった。
地下のMUJI CAFEでお昼を食べ、マルイで海外へ贈るクリスマスプレゼントを探す。雑貨屋で見つけた『わたしのおかいもの』という大型しかけ絵本に親子で一目惚れ。デパートが一冊の絵本になっていて、各フロアで買い物を楽しめる。
屋上の英国式庭園は、秋で葉っぱが茶色くなり、ちょっと色あせた印象だったけれど、貸し切りでゆっくりできた。二人寝そべっても余裕のあるベッドみたいに大きな籐椅子が回転することを発見。たまがうれしがって、ぐるぐる押し続けた。
自宅のある駅まで来て、ベーグル屋でお茶。「今日はよく遊んだね」と声をかけると、「え? いつ?」ととぼけた返事。姫、これでも満足なさらぬか!
2008年12月09日(火) クリスマスみいつけた
2006年12月09日(土) 『現代映画聖書』と『麗しの銀幕スタア』
2002年12月09日(月) ドカ雪