今週は前半締切に追われ、昨日やっと脱稿して初稿を送れたので、今日はひさしぶりに気持ちに余裕がある。余裕残量は3歳の娘のたまには、手に取るようにわかるらしく、娘の余裕度にも比例する。生返事を繰り返していると、「もう、ふんじゃわかんないよ」となじられるが、我慢できずにそう言った時点からさかのぼって数十分は置いてけぼりにしてたんだろなと思う。
じっくり向き合えるときは、とことん話を聞いて、おしゃべりする。言葉は、二人共通のおもちゃ。いかようにも変化して、楽しみ方は無限大。今日はお風呂で、ひさしぶりに「あにょ」ごっこ。「あにょ」だけを発して会話する。「あにょあにょ?」「あにょ!」「あにょ」「あにょ〜〜〜〜」。ナンセンスだけど、互いの声色や表情を面白がり、同じ言葉の繰り返しのリズムが笑いを増幅する。
高校生のとき、交換留学で大阪のわが家にアメリカからブラッド君がホームステイに来た。そのとき、英語がほとんどできない父が「ぷく」という遊びで一瞬にして心をつかんでしまったことを思い出す。「あにょ」ごっこと同じく「ぷく」だけで会話するのだが、それに合わせて両手で「ぷく」なる物体を描くジェスチャーゲームのようなもの。ブラッド君と父の「ぷく」対決を見ながら家族で大笑いしたのが懐かしい。
もうひとつ思い出したのが、大学時代にいた応援団での「押忍(おす)五段活用」。「オス!」だけで喜怒哀楽を表すという宴会芸で、明らかに不条理なことを先輩から言いつけられたときの絶妙な「オス?」や、先輩にしごかれながら自分を奮い立たせるために声を張り上げる「オース!」に涙が出るほど笑った。ごっつぁん(先輩からメシをおごられること)をおあずけになったときの「オスぅ」が餌を取り上げられた犬のように物悲しく、押忍の奥深さに唸ったものだ。
短い言葉でも、込めるニュアンスによって豊かな意味を伝えることができると、人は3歳の頃から知り、人生の折々に感じるものらしい。
2008年12月03日(水) 「何見てるの?」「ゆめみてるの」
2006年12月03日(日) マタニティオレンジ36 撮影大会
2005年12月03日(土) 第12回函館港イルミナシオン映画祭 参加2日目