3日で3冊を読んだことを先週水曜の日記に記したが、その翌日の木曜には道尾秀介さんの『シャドウ』を読んだ。先月読んだ『Story Seller(ストーリーセラー)』という人気作家の競作短編集の中で、表題になった有川浩さんの作品と道尾さんの『光の箱』が飛び抜けて面白かった。有川さんは『阪急電車』が去年読んだベスト3に入るほど気に入ったけど、このところ日曜版の書評でこの人の名前を見ない週はないほど話題作を連発している道尾さんの本は読んだことがなかった。
作者の筆力が仕向けた人物を犯人だと怪しんだので、ラストで全容が明かされたときは、やられたと思ったが、振り返ると、ミスリードのための意図があからさまにわかる部分もあり、無理がないことはない。だけど、まんまと騙される快感をひさしぶりに味わえた。『葉桜の季節に君を想うということ』(歌野 晶午)や『倒錯のロンド』(折原一)などの叙述トリックものに一時期はまったけど、素直に思い込むクセのあるわたしは、いつも作者の狙いに見事に引っかかる。
土日で『やさしい訴え』(小川洋子)を読み、昨日は夜中に起きだして『素人庖丁記』(嵐山光三郎)を読んだ。どちらの作家も何を読んでも外れなし、ページを開いているだけでウットリとなれる。小川さんの美しい文体は繊細な旋律のようだと思うことがあるけれど、今回はチェンバロという楽器を真ん中にした男女三人の話で、チェンバロは嫉妬の対象にもなり、秘めた愛の目撃者にもなり、いっそう深い響きと余韻を物語にもたらしている。
嵐山さんの食べものへの造詣の深さと飽くなき好奇心は、『文人悪食』などからもうかがえたが、好奇心の赴くまま素人包丁をふるい、尺八の竹を煮物にするチャレンジ精神には恐れ入った。病院食にうんざり、ぐったりしていたのに、差し入れのステーキ400gでみるみる回復という逸話もこの人らしい。人生の最後を飾る「死期の献立」についても真剣に論じ、正岡子規が死の前年から36歳(若い!)で亡くなるまで、病人とは思えない食欲で延々食べ続けたものを記録した日記(『仰臥漫録』として岩波文庫から出ている)を紹介している。食べることは生きること、食欲は生命力だとはよく思うけど、命を削ってまで食べる壮絶な生き方もあるのだ。
子どもが寝静まった深夜は本の世界に入り込むのに打ってつけ。真夜中の読書も快適な涼しさとなり、読書の秋だなあとしみじみ。2日に一冊ぐらいのペースで読んでいけたら、言葉銀行の充実をはかれそうだ。コピーライター時代の先輩が「わたしたちの仕事は言葉を捻り出すことだけど、出すばかりだと枯渇するよ」と警告してくれたのを思い出す。折しもアマゾンから「本全品送料無料キャンペーン」(11/4まで)のお知らせが届いた。1500円以上送料無料もすばらしいが、一冊でこの金額を超えるのは難しく、いつも余計な買い物をしてしまうのが難点だった。この機会に今井雅子(いまいまさこ)の関連本を求めてみるのも、よろしいかと。
2008年09月15日(月) 「第2回万葉LOVERSのつどい」でますます万葉ラブ!
2002年09月15日(日) パコダテ人P面日記 宮崎映画祭1日目