5月に万葉LOVERSの集いに参加するため東京から新幹線で西へ向かっていたときのこと。ひさしぶりに空路ではなく陸路での移動となり、窓の外の景色を楽しみながら、「投資」と「浪費」について考えていた。
新書『断る力』が売れている経済評論家の勝間和代さんが「自分のためになること=投資」と「自分にとって無駄なこと=浪費」を見極め、浪費を断り、投資にいそしみましょうと説かれている。朝日新聞土曜版beのコラムでも繰り返し語られていることなのだが、この「投資と浪費」の区別がわたしにはわかりにくい。「移動は自転車で」が投資になるのはなんとなく理解できるけど、「ジムでバイク漕ぎ」が投資なのは理解しづらい。体力はつくし、頭を空っぽにして整理する効果はあると思うものの、景色は変わらないし、出会いもハプニングも期待できない。新幹線の窓から見える家並みの一軒一軒で営まれる暮らしに思いを馳せるほうが、わたしにとっては実のある時間。座りっぱなしで体力はつかないので、これも浪費なのだろうか。勝間さんにお会いして直接うかがう機会があればと思うけど、お茶もお酒も浪費ですと断られそう。
ぼけっとお茶するのも、とりとめのないおしゃべりをしながらお茶するのも好きだし、寄り道や行きあたりばったりの散歩での出会いに思いがけない拾い物をした気持ちになるし、アイデアは無駄話から生まれると思っている。そもそも脚本を書く上では失敗も後悔もネタになるので、何事も投資だとも言える。投資と浪費の境界線を引くことに意味はないのかもしれない。
とはいうものの、仕事や頼まれ事を引き受けすぎてスケジュールや家族や体調にしわ寄せしてしまうたびに、「わたしに断る力があれば」と恨めしくなる。「成立しない企画10本」に関わる時間を「形になる一本」に絞ったほうが良かったんじゃないか、などと立ち回りの下手さを嘆いたりもする。去年から今年にかけては「つばさ」の脚本協力を引き受けたために他の仕事を断ることになり、形になる一本を優先できたけれど、それは結果論。普段は「先の見えない10本」で身動きがとれなくなって、スケジュールが折り合わずに大きな魚を泣く泣く見逃す羽目になる。
企画に参加することは投資だけど、見通しが甘いギャンブルは浪費になる。それでも頭から「浪費」と見限ることができないのは、無駄かもしれないことの中に何か得るものがある期待を捨てきれないから。時間食っちゃったなあと徒労に終わったことを嘆く企画でも、毎回の打ち合わせは楽しかったし、出会いは残り、それが次の仕事を運んでくれたりもするのでとんとん勝負という気もする。
京都駅でわたしを出迎えて奈良駅までご一緒してくださったさのっちさんに、そんな話をしたら、「わたしの人生なんて、無駄だらけです」と朗らかに笑っていた。別な日に「時間を無駄にせず、無駄なことしよう」という石原良純さんの言葉を新聞で見つけて、こちらはわかるわかる。
2008年06月08日(日) マタニティオレンジ298 「m」とフライング父の日
2007年06月08日(金) マタニティオレンジ128 モラルない親
2005年06月08日(水) 歩いた、遊んだ、愛知万博の12時間
2002年06月08日(土) P地下
2000年06月08日(木) 10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/26)