原爆投下後、GHQの検閲を受けて最初に刊行された体験記であり、美しいラブレターでもある『絶後の記録―広島原子爆弾の手記』。その映画化を目指す情熱の人、Kinga Dobos(キンガ・ドボッシュ)さんが2年ぶりにアメリカから来日し、再会することができた。
彼女との出会いの経緯は2年前の日記に記した(2007年08月13日(月)『絶後の記録』映画化めざして来日)が、あたらめて会ってみて、信念に突き動かされ、それを実現するために誠意と行動力を惜しみなく注ぐエネルギーに圧倒された。財力もコネもない故人が映画を作るとき、不可能を可能にするのはこの情熱なのだ。
ルーマニアからハンガリーに逃れ、イギリスで英語を、アメリカで映画を学んだキンガさん。その恩師が彼女の作った短編映画を気に入り、「これを映画にできるのは君しかいない」と紹介したのが、『絶後の記録』を英訳した『Letters from the End of the World』だった。その運命的な出会いに導かれ、彼女の挑戦が始まった。
2年の月日が流れても、映画化へ向けて具体的なことはまだ何も進んでいない。けれど、キンガさんの情熱は衰えるどころか勢いを増し、つくづく強い人だ、と心を打たれた。
映画を作る意味のひとつに、原作を広く知ってもらえることがある。わたしの日記を読んで原作を手に取ってくれた方が少なからずいるけれど、日本の人にも世界の人にも、もっと読まれるべきこの名著を、わたしも何とかして広めたいと願っている。戦争を憎む気持ちの根っこは、人を愛する気持ちなのだと、静かだけれど熱い文章で、『絶後の記録』は語りかける。その思いを多くの人が分かち合うことが、平和の種をまくことなのだと思う。
『絶後の記録』、ぜひ、手に取って、読んでみてください。
情熱で映画を実現させた人といえば、一年前の日記で紹介した(2008年05月31日(土) 全日本ろうあ連盟創立60周年記念映画『ゆずり葉』)映画『ゆずり葉』が完成したことを月刊シナリオで知る。ろう者の早瀬憲太郎監督のインタビューに、キンガさんに通じる意志の強さを感じた。映画を作るのにろう者も健聴者も関係ないと語られていたが、キンガさんもまた、原爆を憎んで平和を祈るのに日本もアメリカもない、ということを熱く語っていた。
今日の子守話は、壁を溶かすお話。平和のありがたみを子どもに伝えることに人一倍熱心な母から、子どもの頃、絵本や映画や展示会など、さまざまな形で「戦争は、あかん!」のメッセージを受け取った。それを娘にも受け継いでいきたいと思う。
子守話74「チョコレートのちきゅう」
ちきゅうの あちこちで きょうも くにとくにが けんかして ミサイルの あめを ふらせています。 ひとをきずつけ いえをこわし まちをもやし たくさんの なみだの あめも ふらせます。
ミサイルが チョコレートだったら いいのに。 ちじょうに おちてくる あいだに ねつに とけて みんなのおやつに なればいい。 チョコレートなら だれも なにも きずつけずに やさしい きもちに してくれるでしょう。
いっそ ちきゅうが チョコレートだったら いいのに。 けんかして あつくなったら とけて とろけて くにと くにの さかいめが きえればいい。 チョコレートの うみに ぷかぷかうかんで はて いったい なにを あらそって いたのでしたっけ。 ひとと ひとの あいだの コチコチも ギザギザも チョコレートみたいに とけてしまうでしょう。
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子守唄代わりのお話といえば、今日の朝ドラ「つばさ」の放送で続きが完成した『おはなしの木』、公式サイトで全文が読めるので、どうぞ(>>>こちら)。リクエストの多い絵本『まじょのなみだ』も挿絵つきで読んでみたい。
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