2009年02月12日(木)  ハンブルク・バレエ×ジョン・ノイマイヤー『人魚姫』

「ハンブルク・バレエの『人魚姫』観ない? 振付はノイマイヤーよ」と友人カヨちゃんよりお誘い。ハンブルク・バレエもノイマイヤーも知らないけれど、人魚姫には思い入れがある。市村正親さんが『BARアンデルセン』のマスターとアンデルセンの世界の一人芝居を演じる『真夜中のアンデルセン』という実験的な音楽劇ドラマを作ったことがあり、劇中で取り上げたのがこの物語だった。深夜番組にしては高視聴率だったけれど、シリーズ化はされず、次は『雪の女王』をやりたいという目論みは叶わなかった。でも、最初で最後の一本が人魚姫だったのは正解だったと、今日のバレエを観て、あらためて思った。

アンデルセンだと思われる「詩人」が第一幕冒頭から登場し、彼が語り部の役割を担って物語を運んでいく。上下する曲線で海底と地上を表現するなどシンプルだけど明快な美術は洗練された現代アートを見ているよう。衣装も気合いの入ったクラシックバレエと比べると、エコか、というほど軽量。王子に至ってはメインの衣装が水着で、これまでに見たどんな王子の衣装よりもロイヤル感がない。ヒマさえあればゴルフの練習をしている王子という描き方も画期的。

魔法をかけられて人間の足を手に入れる前の人魚姫をどう表現するのか興味があったが、空気が海水に見えるほど、人魚姫の「泳ぎ」はすばらしかった。男性ダンサーにリフトされて伸びやかに泳ぎ回るときはもちろん、二本の足を地につけているときさえ、海底を泳いでいるように見える。しなやかにくねる動きはまさに魚を思わせた。足を得た人魚姫が陸に上がると、一歩を踏み出す痛みが、ちゃんと見える。人間の体をうまく使いこなせないもどかしさも、手に取るようにわかる。人間の体がどれだけ雄弁に語ることができるかを見せられているようだった。

跳躍の高さや回転数よりもストーリーを表現することに身体を駆使した振付は、ラストにもよく表れていた。悲しみに沈む人魚姫の動きは静かになっていくが、伝わって来る感情が観客の心を動かしていく。それが膨らみきったところで、泡になって天に召される場面が訪れる。シンプルに徹した舞台装置はここからの逆算だったかと思えるほど、星くずのようなきらめきの静謐な美しさが際立った。

しばしの余韻を割って湧き起こった拍手と「ブラボー」の声が鳴り止まず、カーテンコールが繰り返された。手を取り合ってお辞儀を繰り返す出演者たちの手応えも伝わって来て、舞台と客席が心地よい興奮を分かち合った。振付のノイマイヤー氏が登場すると、拍手はいっそう大きくなった。

巨匠ノイマイヤーの名をバレエに疎いわたしは知らず、コピーライター時代に仕事をしたイラストレーターと同じ名前だ、いやあれはルーマイヤーだというお粗末な知識だったが、作品を観て、「女心がわかる」「胸が締めつけられる」という評判に納得した。あらすじをよく知っているせいもあるけれど、バレエのヒロインにこれほど感情移入したのは初めてだった。身体の動きのひとつひとつに感情が宿り、人魚姫の海よりも深い悲しみが胸を刺す痛みとなって伝わってくる。バレエは踊るのではなく演じるのだ。バレエダンサーの表現力の豊かさに目を見開かせてくれたジョン・ノイマイヤーの名は、今日の舞台とともにわたしの脳裏に刻まれた。名前にイマイが入っているのも親近感。

劇場を出て、並びの席で鑑賞した元同僚のヤマムロ嬢、タカトモ嬢と東急百貨店本店前のビストロVIRONで夕食。ここのパンが好きだけど、食事をしたのは初めて。シャンパンで乾杯し、ワインを飲み、パンをちぎり、カスレを食べ、バレエを語る。「今井が飲みかけの日本酒を手土産にうちに遊びに来たのを思い出して、こないだ爆笑したよ」とヤマムロ嬢に言われ、「ああ、ありましたね。ハーフボトル事件」と笑う。こういう時間が書き続ける力をくれる気がする。ちょうど仕事が空いた谷間の晩に、いい栄養を蓄えられた。

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