3年前まで勤めていた広告会社マッキャンエリクソンの大先輩15人が合同で開いた『Again〜ヤケドしそうな広告をつくってきた仲間たちの、ふたたび』展(>>>2008年4月6日の日記 ギャラリー工にてマッキャンOB『Again』展)。4月にやったギャラリー工(こう)から場所を移し、マッキャンの受付フロアで再び開かれることになり、そのオープニングパーティに行ってきた。会社を辞めて3年あまり。有休消化期間を含めると3年半近くになるけれど、辞めてしまうとなかなか足を踏み入れ辛く、会社の下まで来て仲の良かった同僚に会うことはあっても、中に入るのは、最後に出社して以来になる。
子守の都合がつかなかったので娘のたまを連れて行くことにしたが、知っている人に会えなくても、たまが一緒なら間が持つという保険でもあった。でも、フタを開けてみると、「お、今井だ」「ひさしぶり」と次々と声がかかり、放っておかれる心配ご無用だった。お世話になった人たちが「仕事順調そうじゃん」「活躍してるね」などと喜んでくれ、あまり仕事で関わりがなかった人も日記を読んでいてくださっている。最後に仕事をしていたクリエイティブディレクターは、「いま幸せ?」と聞き、「おかげさまで」と答えると、「君が幸せそうで安心しました」。この会社に飛び交う言葉はやっぱりオシャレだ。「作品は、正直いいんだか悪いんだかわかりません」「僕は作品を出していません。僕自身が作品ですから」など、祝辞のスピーチも味がある。たまが絶妙なタイミングで「あれ?」などと声を発すると、「そこ、うるさいよ。なんたって今井の娘だから」と突っ込みが入った。
クリエイティブという部署にいたこともあって、「いま何読んでる?」「最近何観た?」が挨拶のような職場だった。そんな中で十年あまり仕事をできたことが、脚本を書く基礎体力を鍛えてくれたと思っている。わたしが脚本と二足の草鞋を履くことにも寛容で、面白がり、応援してくれた。肩身の狭い思いをするどころか、全社メールで新作を案内したりチケット購入を呼びかけたりさせてもらった。そんな会社にいたから、なかなか辞める踏ん切りがつかなかったともいえるのだけど、子ぎつねヘレンのロケを前に、脚本に専念することを決めた。上司は「君が一本立ちすると決めたってことは、それだけ脚本の仕事が軌道に乗ったということだね」と祝福し、「でも、うまくいかなかったら、帰っておいで」と送り出してくれた。
社員として戻って来なくても、ときどきは立ち寄りたいと思いつつ、かこつける用事がなくて今日になってしまった。子連れでの初めての帰省をあたたかく迎えてくれたマッキャン。この先わたしが再就職することがなかったら、ここが人生でたったひとつ会社となるけれど、いい選択をした、と今でも思えることがうれしい。
2006年10月02日(月) マタニティオレンジ13 おかげの花
2004年10月02日(土) 「平均年齢66-1才」若返りの会
2000年10月02日(月) 10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/12/02)