『星新一 一○○一話を作った人』(最相葉月)を読んでいたら、SF作家の眉村卓さんの名前が何度も出てきて、小学6年生のときに夢中で読んだ『まぼろしのペンフレンド<』を思い出した。学校の図書室に一週間ほど通いつめて読んだ記憶があるが、なぜ借りて帰らなかったのかはわからない。どんな話だったのかもうろ覚えで、あらためて読んでみたくなり、講談社の青い鳥文庫から2006年に再刊された青い鳥シリーズ版を手に取った。
「はじめに」という著者の前置きで、この物語が昭和41年に「中学一年コース」に連載されていたこと、当時は携帯電話どころか電話もどの家にもあるわけではなかったこと、親しい仲でも連絡手段はもっぱら手紙で、雑誌などの「文通コーナー」が人気を集めていたこと、そうした時代を背景にした話であることが解説されている。わたしが読んだ時点でも、書かれたときから15年以上経っていたことになるけれど、時代の半歩先を描くSFに時代が追いついていたのか、当時違和感を覚えた記憶はない。でも、2006年版を手に取る少年少女は、携帯電話のない時代すら知らないわけで、「これはちょっと昔の話ですよ」と断りを入れる必要があるらしい。
小学6年生のわたしが一週間かけて読んだ一冊を、四半世紀後のわたしは2時間で読んだ。さすがに記憶はすっかり色あせ、初めて読むような感想を抱いたけれど、ところどころ既視感を覚えるくだりが顔を出し、今のわたしとつながっている過去のわたしが同じ本を読んだことを確認できた。
小学校の六年間でわたしを最も魅了したのがこの一冊だった。この物語の何にそれほど惹きつけられたのか。たしかに次から次へと主人公の身の回りで事件が起こり、最後まではらはらしながらページをめくり続けるのだけれど、シャーロック・ホームズの推理小説にだってドキドキはあった。たぶん小学六年生のわたしは、「まぼろしのペンフレンド」という設定に引き込まれたのだろうと推測する。
当時わたしは、はじめてのペンフレンドとの文通に夢中になっていた。五年生の夏休みに家族旅行で行った蓼科で、地元の五年生が授業の一環で実施していたアンケートに答える機会があり、その用紙に住所と名前と「おたよりください」のメッセージを記しておいたところ、一人の女の子が手紙をくれ、文通がはじまった。遠くに住んでいる相手がどんどん身近な存在になっていくのが楽しくて、週に何通も手紙を書くこともあった。だから、「ペンフレンド」がついたタイトルに惹かれて手に取り、まだ見ぬペンフレンドに想像を膨らませる主人公と自分を重ねたのだろう。
手紙には贅沢な余白があると思う。紙の手ざわり、手書きの文字、同封された写真やイラスト、相手を想像する手がかりがちりばめられ、封筒を閉じてからも余韻が残る。手紙が書かれてから読まれるまでの時差も相手に思いを馳せる時間を作ってくれる。「ペンフレンド」が死語と化した現代なら『まぼろしのメル友』になるのだろうけれど、他人になりすましやすいメールでは、「まぼろしの」があまり効かない。
「まぼろしのメル友」といえば、あるプロバイダーの広告を書いていたコピーライター時代、インターネット上の文通コーナーに登録したことがあった。押し寄せるように送られてきたメールの中でひときわ美しい文章を書く人がいた。一通一通のメールは、わたしのためだけに書かれた掌編のようで、毎朝会社でそのメールを開くのが楽しみだった。ところが、ある日届いたメールは、書き出しの数行以下が数か月前に届いたメールとまったく同じ内容になっていた。毎日したためられていると思っていた美文は、あらかじめ用意された長い小説の一部をコピー&ペーストしたものだったのだ。完成しかけたパズルがバラバラになったように、つかめそうだった相手のイメージは白紙になった。わたしは返事を書かず、その一通を最後に文通は終わった。
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