4日前(12日)のできごと。仕事をしているプロデューサーから「今日お時間ありますか」と突然電話があり、「お宅の近くまでうかがいます」と言われる。少し前にも同じようなことがあり、また来たか、と心の準備をして駅前の喫茶店で落ち合うと、予想した通り、「実は……」と切り出された。
進めている企画が立ち消えるとき、あるいは企画は残っても脚本家が立ち去らなくてはならないとき、電話でも言いにくいことを、会いに来て告げる。待ち合わせの電話の時点で予感はしてしまうけれど、それでも、足を運び、顔を見せてくれる誠意に、不幸中の幸いのように救われた気持ちになり、沸点すれすれだった不満や怒りや悔しさも温度を下げる。プロデューサーだって悔しい、口惜しいと顔を見ればわかる。電話だったら好き勝手文句を言えても、その顔を見たら何も言えない。「お疲れさまでした」「ありがとうございました」と労いの言葉が自然に出て、「今回は残念でしたけれど、また機会があれば」と素直に言える。
以前、取材を受けたものがなかなか上がってこないので、どうしたのかなと気になった頃に、「あれはボツになりました」という旨のメールが送られてきたことがあった。最初に取材を依頼してきた人ではなく、取材に立ち会った人でもなく、前任者から引き継いだらしい会ったことのない人からの事務連絡のようなメールが一通。わたしは、そのメールに返信をしなかった。返信をしないことでささやかな抵抗を試みたつもりだったけれど、相手にとってはメールを送信完了した時点で用は済んでいたのだろう。
翻って、自分が誰かに何かを断るとき、逃げ腰になってはいないかとわが身を振り返る。言いにくいことを告げるときほど逃げてはいけない。また仕事なくなっちゃうのかと残念に思いつつも、プロデューサーの姿勢に大切なことを教えられた気持ちになった。
2005年06月16日(木) Hidden Detailのチョコ名刺
2002年06月16日(日) 一人暮らしをしていた町・鷺沼
2000年06月16日(金) 10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/26)