2007年06月14日(木)  『坊ちゃん』衝撃の結末

まだ読んでなかったの、と呆れられそうだけど、ついにと言おうか今さらと言おうか夏目漱石の『坊っちゃん』を読んだ。国語便覧などで登場人物やあらすじは頭に叩き込まれて、すっかり読んだ気になっていたものの、本文を通して読んでみると、はじめて聞く話のような印象を持った。わたしの思い描いていた坊っちゃんはやんちゃな新米教師で、やる気が空回りしているところはあるもの、夢と希望にあふれた熱い青年だった。ところが、ページの中にいた坊っちゃんは、いつも何かに対して怒り、苛立ち、毒づき、ぼやき続けている不満の塊のような人物で、職員室の敵ばかりか生徒や下宿の大家や田舎町や何もかもが気に入らない。江戸っ子気質と正義感を燃料に暴走する型破りな教師なのだけれど、校長に噛みつき生徒に喧嘩を挑む破天荒ぶりが面白いからこそ今日まで読み継がれているのだろう。一ページに何箇所も注釈の番号がついているほど聞き慣れない言い回しや今はもう見かけない物が登場するのだけれど、古びた感じがしない。『ホトトギス』に発表されたのが1906年だそうで、書かれて百年あまりになるが、感情を爆発させる坊っちゃんには、古文になってたまるかという勢いがある。

『坊っちゃん』どころか『吾輩は猫である』も未読で、教科書や便覧に載っている作品しか読んでいないくせして、夏目漱石には注目してきた。というのは、幼い頃、母に「あんたは夏目漱石とおんなじ二月九日生まれやから、文才があるはずや」と言われたからだ。誕生日占いを人一倍信じていたこともあり、同じ誕生日ならわたしも文豪になれるかもしれない、と素直に思い込み、日記や感想文や作文を張りきって書いた。それが今の職業につながっていることは間違いない。今回読んだ角川書店の改訂版の文庫本には「注釈」「解説(作者について、と作品について)」のほかに「あらすじ」(本文の前にあらすじがついているのは珍しい。読書感想文を書こうとする学生向けのサービスだろうか)さらには「年譜」がついている。

年譜の冒頭を読んで、「あ」と思わず声を上げた。「慶応三年(1867年)一月五日」生まれとある。月も日もまったく違うではないか。母の暗示に乗せられて、四半世紀あまり。書くこと好きが高じて新井一先生が雑誌で連載していたシナリオ講座に原稿を送ったら「才能がある」と返事が来て、調子に乗って脚本家デビューに至ったが、ほめられたと思ったのは勘違いだった。それ以前に壮大な思い違いがあったとは……。いやはや思い込みって恐ろしい。傑作の名高い本文よりもおまけに衝撃を受けていると、「一月五日は陰暦で、今の暦でいえば、二月九日で合っているのでは」と教えてくれる人があった。調べてみると、そのように書いているサイトもあり、「夏目漱石と同じ誕生日」はデマではなかったようで安心する。

2002年06月14日(金)  タクシー

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