新聞の整理をしていたら、夫婦別姓について論じる記事があり、一昨年の二月の飲み会のことを思い出した。広告会社時代の先輩のお姉さまたちと五人で集まったときのこと、婚姻届を出したばかりのY嬢が「自動的にダンナの苗字にされるのはおかしい! わたしも稼いでいるのに!」と言い出した。「っていうか、ダンナより稼いでいるのに!」と賛同する声があり、お酒の勢いもあって「夫婦別姓だあっ!」という話になった。
わたしたちが働いていた広告会社では、結婚後も旧姓を名乗る女性がほとんどで、わたしもそうしていた。キャッシュカード、クレジットカードの類の名義変更の多さに閉口し、「なんで妻だけがこんな面倒なことを……」と恨めしくは思ったものの、それ以外の不便や不満はとくに抱いていなかったので、お姉さまたちの怒りが意外だった。
「で、今井はどうなの?」と詰め寄られ、「わたしは名前が二つにふえた、ぐらいに思ってたんですけど」と答えると、「あたしもそうだな」とO嬢。この先輩は「新鮮だから」という理由で、結婚するなり新しい姓の名刺を刷った。苗字を選べると考えれば、窮屈ではない。わたしの場合は、旧姓がペンネームにもなっているので、郵便物も半数以上は宛名が「今井」になっている。日常的に「今井」で呼ばれることが多いから、結婚によって慣れ親しんだ名前を失ったという感覚が薄いのかもしれない。
そのことを痛感したのは、飲み会から数か月後、銀行の窓口で、だった。通帳の記入漏れを知らせる郵便物がしばらく届いていない口座があり、もしかしたら結婚した際の住所変更をし忘れているのではと思って問い合わせたのだが、名義が今井雅子になっているせいで、照合を受け付けてもらえない。
「今井雅子という人物は戸籍上存在しないわけでして」。女性行員にそう告げられた瞬間、飲み会で吠えていたお姉さまの気持ちに、ぐぐっと近づいた。物心ついてからずっと自分は今井雅子だと思って生きてきたのに、戸籍が書き換えられただけで、今井雅子という存在は消されてしまう。そんな簡単なものじゃないでしょう、と目の前の行員さんに食ってかかりそうになった。自動的に新しい苗字の名刺を持たされる会社に勤めている人や、専業主婦になって「○○さんの奥さん」と呼ばれるようになった人が結婚早々に体験している衝撃を、わたしは結婚後6年も経って味わったのだった。
どうやったら、わたしが元・今井雅子であることを証明できるだろうか。銀行の窓口で策を練った。『子ぎつねへレン』のチラシを見せて、「ここに今井雅子って名前があるでしょ」と示しても、それがわたしである証明にはならない。そのとき、そうだ、と思い出し、財布を探った。わたしが加入している文芸美術国民保険の保険証には、氏名に筆名が併記されている。結婚後の名前と旧姓が仲良く並んでいる保険証を見せると、行員さんの態度が変わった。今井雅子名義の口座の住所変更がされているかを確認し、「変更はできているが、年間の取引額が少ないので通帳記入漏れの案内が発送されていない」ことがわかった。
また今回のような騒ぎになると困るので、その場で名義を本名に書き換えたが、旧姓のまま遺しておけばよかったかなとも思う。自分の手で、またひとつ、今井雅子を消してしまった。それにしても、保険証という証拠がなかったら、今井雅子という人物は存在しないままになっていた。戸籍の一行が旧姓で生きてきた何十年という時間を覆せるわけがないのに。
次にお姉さまたちと飲むときは、「名前が変わるったって、書類だけのことじゃないですか」なんて笑って言えないな、と思った。
2005年05月01日(日) 天才せらちゃんと神代植物公園
2004年05月01日(土) 池袋サンシャイン国際水族館『ナイトアクアリウム』
2002年05月01日(水) きもち