2006年12月14日(木)  図書館の本が汚されている

図書館の本へのいたずらがひどい、という新聞記事を読んだ。切り抜き、線引き、落書きなど被害は相当数にのぼり、注意しても「なぜいけないのか」と開き直られるケースもあるとか。識者はモラルの低下を嘆いている。

わたしも最近図書館をよく利用するようになり、「図書館の本って、こんなに汚かったっけ」と驚いている。行間にびっしり書き込んであるもの(あり余る知識の持ち主だということはわかるが、常識は足りない)、大事な場面でページが切り取られて高度な想像力を要求されるもの(ガムでも包んだのだろうか)、かと思えばガムが貼りついているものもある。煎餅やクッキーのくずがページの溝に溜まっていたり、ページの端にチョコレートの匂いの指紋が押されていたり、醤油のしみがついていたり、食べながら読んでいた痕跡をとどめているものも多い。他にも、枝毛の束、爪、鼻くそ、ありとあらゆるものが挟まっている。

こういう状態で本の世界に没頭するのは、障害物競走のようだ。

わたしは「みんなのものは大切に」と家庭や学校で教わって育ったけれど、「自分のものじゃないから粗末にしていい」という考えが幅をきかせてきたのかもしれない。本がヨゴされているというより、ケガされている気持ちになる。

みんなの本といえば、アメリカの高校に留学したときの教科書は、購入するのではなく、先輩からのおさがりを受け継いで使っていた。何しろ百科事典のように分厚くて重いので、いちいち買っていたら大変なことになる。

表紙をめくったところに代々使った人たちの名前がサインされていて、わたしが使った教科書には10人ぐらいの名が連なっているものもあった。その割に外も中もとてもきれいで、まるで新品同様。そのことをホストファミリーに話したら、「そりゃ、開いてない証拠だよ」と大笑いされた。家で予習復習もしないので、教科書は校舎脇のロッカーに置きっぱなし。これでは汚れようがないと言う。

もちろん、名前を書く以上、責任を持って大切に使っているという側面もあるだろう。数学の教科書に見つけた日本人のサインの脇には「日本人の方、がんばってください」と日本語で添えられていた。これも落書きになるのだが、自分だけにわかる暗号を見つけたようでうれしかった。

きれいな教科書で思い出したが、学生時代、大学近くの古本屋に使い終えた教科書を売りに行ったら、驚くほど安い値段をつけられた。「どうしてですか。こんなにきれいに使っているのに」と訴えたら、「書き込みのない教科書は、古いだけで価値がない」と店主。講義で聞いた内容を書き込んだ教科書は、試験対策に役立つので高く売れるのだとか。

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