高校を卒業して、今年で15年目になるらしい。ということを同窓会の案内で知った。卒業以来はじめて、しかも学年全体の同窓会とあって、楽しみな反面こわさもあった。わたしは入学時と卒業時に在籍した学年が違う。高校2年の1学期を終えて留学し、帰国してから一年下の学年に編入した。今回の同窓会は後のほうの学年のもの。1年と2学期しか過ごしていないので、知ってる人はいるだろうか、覚えていてくれているだろうか、とそわそわした。でも、当日が近づき、懐かしい友人たちから「わたしも行くよ!」とメールが来るようになると、がぜん楽しみになり、今朝伊丹行の飛行機に乗り込むときは駆け出す勢いだった(空港カウンターは長蛇の列で、プチ暴動が起きていたけれど)。
会場に直結した難波駅の改札出たとこで、食べ歩き仲間だったてるちゃん、ゆみちゃんと再会。高校時代、わたしを含めた女子3人と男子4人で「グルメの会」なるものを結成し、小遣いを奮発しておいしいものめぐりをしていた。1リットルパフェなんてものをペロリと食べた若い食欲が懐かしい。会場の宴会場前のロビーでは、「ひさしぶり!」「わたし、わかる?」「キャー!」の声が飛び交い、同窓会のシズル満点。結婚して改姓した女の子たちは「旧姓で呼ばれるだけでタイムトリップやわあ」と嬉しそう。わたしもひさしぶりに「まいまい」と高校時代のあだ名を連発され、気持ちがあの頃に戻ってしまった。
乾杯が終わると、3年生のときのクラス別に順に壇上に出て、近況報告と記念撮影。わたしは3年6組、文化祭で『オズの魔法使い』のミュージカルをやったクラス。この劇の台本・演出をやったわたしの印象はけっこう残っているらしく、ブリキ役だったS君は 「ジャングルジムの上で歌わされた」ことを強烈に覚えていた。そんなS君は、ライバル広告代理店でヒットCMを手がけるアカウント・ディレクターになっていた。
先生方は5人参加。2年のときの担任だった永山先生は、当時と印象がほとんど変わっていなくて驚いた。さすが体育教師。あいかわらず陸上部の指導に燃えていて、黒目がちな目がキラキラしていた。2年の3学期、成績が急降下したわたしを呼び出して、「お前はもう少しいけると思たけどな」とポツリ。その一言が効いてサボリぐせを改善できたので感謝しています、と伝えたら、「そんなことあったかいな」と笑っていた。70代の先生が二人。当時すでに定年近かったことになる。この春、高校教師の定年を迎えた父イマセンの十数年後を想像した。
クラスメート、体操部の同期、体育祭のときだけ結成される応援団の仲間もたくさん来ていた。アメリカ留学から帰ったばかりの「チビの巨体」だったわたしと身長順でペアを組まされたH君は、どうしているのかな。わたしを持ち上げるたび、「ウッ」と気張っていたのが気の毒だった。今日はじめて口をきいた同級生との出会いも嬉しかった。集合写真のカメラマンを買って出たN君は、「はいチーズ」のかわりに「ここ見て!」と股間を指差すおもろい人だった。みんなドッと笑顔。いい写真が撮れたと思う。
よく笑い、しゃべりっぱなしのうちにお開きの時間。料理がたくさん余った。食べることに口を使っている暇がなかった。二次会に流れても話は尽きず、「またやろな!」を連発。同窓会ってこんなに面白いものだったのか。幹事のK君に感謝。難波駅に着いたら無性におなかがすいて、蓬莱の豚まんを買って実家に帰る。
2002年07月12日(金) 『真夜中のアンデルセン』小原孝さんのピアノ収録
2000年07月12日(水) 10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/29)