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◆ 2004年04月10日(土)
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物は役に立たなければ廃棄処分
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事務所で3番目の古参メンバーである、10年勤務のいやし担当のちゃぼさん。 推定60才で、担当は私専属の精神安定をはかることを業務としている。
10年前、とある工場の排水溝の中でどしゃ降りの中みゃあみゃあと泣いていたのを その工場に勤める会社員が夜中にかかわらず雨カッパといういでたちで 懐中電灯片手にかなり時間を掛けて助けあげられ、 数日間、生死をさまよい「今夜がヤマ」といわれた日にうちの事務所に やってきたシャム猫。
100均の赤いカゴにうずくまってぎょろぎょろっとした目で私をにらみつけ、 衰弱した小さい体を動かせずにただじっとしていた姿は今でも忘れられない。
その彼女が、今日再び生死をさまよいながらの手術を受けることになりました。 老齢ということもあって、手術に耐えられるかどうかが 助かるかどうかの分かれ目とのこと。
横隔膜がなんらかの原因で破れ、そこから肝臓が突出し心臓と癒着をはじめ、 肺を圧迫し呼吸が困難になり相当衰弱しているのだそうだ。
手術費用は15万ほど、あと検査代、投薬代、通院費、入院費もろもろあわせると 20万は超えそうなのだが、それでも助かる可能性は低い。
貧乏な私はそれでも即決。ほっておけば死を待つだけなら 助かる可能性に掛けるのは10年も私を癒し続けてくれた彼女への 当然の決断なのだと思って迷うこともなかったけど。
それでも神経質で臆病で私とおやじにしか懐かなかった彼女が、 見知らぬ病院で見知らぬ人たちに囲まれ入院、そして手術。 果たして耐えられるか、ショック死しちゃうんじゃないかと 夜も眠れない日が1週間も続いた。
このまま知らない人たちの中で死んでしまうくらいなら、 私の傍で最後を迎えさせたほうが良かったのだろうかと、 悩んでみたりしていた。
「20万ほどかかる」という話に 「血統書つきの、新しい猫が買えるね」と反応した人がいる。 別に怒りも感じず「あぁ、そんな考えもあるんだ。」 と、ぼんやり思った。
ペットの扱いに関して日本の感覚は、「命」ではなく「物」と偏っている。 飼い猫を盗んでも「窃盗罪」 動物を殺しても「器物損壊罪」という法しか適用されないように。
例えば、もらってきた電化製品が故障したので修理見積もりを出すと 新品のしかも性能のよい製品を買ってお釣りがくるとすれば、 誰でも中古を捨て新品を買うだろう。
私も当然そうする。 一部例外もあるだろうが。
例えその電化製品が今までどんなに暮らしを豊かにしてくれていたとしても 「物」ならば使い捨てだ。役に立たなければゴミ。 修理したらまだ5年はいけるものでも、新品の性能が良いヤツの魅力の前には 色あせるというもの。
ペットも所詮は人間ではない動物。牛や馬や鶏の家畜と同じ動物で、 浅田農産の鶏のように、人間に被害をもたらすとなれば薬殺処分。
ペットの命だけが別で、家畜は殺して良いというのは 人間が勝手に考えたルールでしかない。
そういう考えに対して、反論しようとは思わない。
ただ私は、動物の命全般の広義の解釈なんてものよりも、 自分の手に届く範囲の「命」はできうる限り大事にしたい、それだけ。 たぶん多くのペットオーナーも同じなのだと思う。
このサイトのコラムに半分賛同、半分反感。
この人の書いていることと、上記のこととは全く違うことを前提として、 一つ言わせてもらえば、 野良猫がみな保健所入りとは限らない、 だれぞに拾われ命をまっとうさせる、うちのちゃぼさんみたいな猫も居るし、 保健所につかまらず野良猫生活を無事に遂げる猫もいる。 どれが幸せかなんてその猫にしかわからないだろうが、もしその猫に 自分の生き方を選択させることが出来れば、無残に殺されるという 選択肢だけは選ばないだろうということは容易に想像できる。
人間に被害をもたらすというのにも、限度というものがあるはずだ。 被害が生命に及べば、生き物の本能としてそういう処置も止むを得ないのは 生命のルールではあるだろうが、多少の害は我慢しそれなりの対処をとるしかない。
殺戮を楽しむというのは論外。 こういう輩は、やがて人間に魔の手を伸ばす可能性があるところから、 社会不適応者でもあるのだから厳重に罰するのは当然だろう。
飼い猫、飼い犬を捨てるペットオーナーをなんとかしろ という意見には大いに賛同。
ただ、野良猫野良犬が全て飼われていたペットだというわけでもあるまいし、 ただそれだけをなんとかして解決できる問題でもなかろう。 犬猫はもともと野生のもので、人間のペットからたんを発しているわけでもない。 そういう犬猫が居なくなれば、その残虐な殺しがなかったとも言い切れず、 対象が鳩だの野生動物に変わるだけとも言えるのだから。
まさか、都市生活の中での動物はみな人間の手がかかっていなければ 生息してはいけないなどという極論話を展開させることはないだろうが。 |
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