un capodoglio d'avorio
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2004年11月17日(水) 「天の煙」(松田正隆作/平田オリザ演出)

17日、尼崎のピッコロシアターにて観劇。


松田サンとオリザさんのコンビは定番になりつつある。どかも何年か前に「月の岬」の再演を紀伊國屋ホールで観た。あれはとてつもなくいい舞台だったのを覚えてる。


そして今回は・・・、どうだろ、傑作!とは言い切れないけど、問題作、とは言い切れると思う。松田サンの脚本、ぶっとびまくり。


この5月に松田サンが主宰を務める京都の劇団、マレビトの会の立ち上げ公演(「鳥式振動器官」)を観たので、最近の彼の作風はとてもよく分かっていた。彼のぶっとびまくった「難解極まる」脚本を、スーパーリアリストのオリザさんがどう演出つけるのか、どかは最初からそこに興味を向けていた。


しかして、オリザフィルターを通してみても、やはり「難解さ」は消えなかった。でも、どかは観ながら「あ、これはオリザさんが付け加えたセリフだ♪」とか思いながら観てた。古いタイプの演劇人、それこそ70年代の下北っぽいアングラ風な演劇人の自己欺瞞をこそ、もっとも忌み嫌うオリザさんだから、できあがってきた舞台表現を中途ハンパな韜晦には堕させたくなかったのだろう。そこかしこにリファインをかけた後が見えた。


そして、案の定、アフタートークで劇作家と演出家が激突w やー、あれは面白い、舞台よりもある意味面白かったー。松田サンが「あんなにいじられるとは・・・違和感がありました」とのたまえば、「だって、わかんないですからね、あのまんまじゃ」と切り返すオリザさん。あはは、ウケる。


アフタートークのなかで、客席から「この芝居の意味が分からん!」というあまりにもストレートな(だからこそ、他の観客みんなは心から喝采を送ったと思われるw)質問が成されて、松田サンはしどろもどろになりつつも「分かんないことがあるほうがイイ舞台なんです」と答えたのに対して「わたしは、こう解釈しました」と自分の演出プランの意図を話したオリザさんの誠実さが際だった。


わたしは、松田サンの「難解さ」を「鳥式振動器官」のレビューのなかで、かなり厳しく評価した。この舞台を観て、でもちょっと軟化したかも。「難解さ」自体は、別に構わない。「意味の伝達の透明性」を崩したい、乱したいというデリダっぽいポストモダンな松田サンの意図は痛いほどよくわかる。多少「いかにも」すぎるところがあるにしても、多少「高踏的」というキライがあるにしても。


でもね。


ポストモダンで行くならば、もう少し、心に余裕が欲しいなあ、松田サン、ってわたしは僭越ながら思った。軽やかに表層をズレながらたゆたい戯れる心の余裕が無いから、客席に対して「さあこの難解なパズルを解いてみろ!」という押しつけがましさを与えてしまっている。オリザさんは敏感にそれを感じ、なんとか緩和しようとした。オリザさんは、押しつけがましい表現が一番キライなのだ。


ポストモダンで行くならば、戯れる心の余裕がないとだめ。あくまで「ネタ」として「断絶」をつくらないとダメ。不真面目にだらしなく遊べ、と言ってるんじゃなくて、ね。


いずれにしても、日本の小劇場界の到達点に位置する舞台であることには違いない。演劇はここまで来てしまった。テーマとしては野田秀樹の「パンドラの鐘」に近いのだけれど、モダニストの野田サンとポストモダンの松田サンで、できあがってくるものはこんなにも違う。


ともかくも、オリザさん、おつかれさまでしたw


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