un capodoglio d'avorio
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2004年10月08日(金) THE HIGH-LOWS "Do!! The★MUSTANG "

ハイロウズ8枚目のフルアルバム、一年半ぶりにリリースされた。言わずもがなだけれど、key.の白井サンが脱退してから初のアルバム。先行シングル「荒野はるかに」「ズートロ」「砂鉄」を含む全14曲。ヒロト作詞作曲、マーシ作詞作曲、ともに7曲ずつ。前作の7thアルバム「ANGEL BEETLE」と比べると、かなりゴツゴツしたいびつな印象。それは、キーボードが抜けたことによる音へのダイレクトな影響という意味もそうだし、アルバム全体のイメージでもそう。告白すると、最初に聴いたときは、すこしがっかりした。あまり、グッとこなかった。


けれども、それはまちがってたらしい。さいきん、わたしはまちがいが多いのだけれど、多すぎるのだけれど、それはともかくとして、先行シングルの「砂鉄」はマーシーの名曲だとすでに書いたけれど、それ以外に3つ、このアルバムにはすごい歌が収められていた。


マーシー作詞作曲のM.05「アネモネ男爵」、同じくマーシーのM.11「ザリガニ」、そしてヒロト作詞作曲のM.13「たつまき親分」。そのなかでも断トツすごいのは「アネモネ男爵」だ。


ブルハ時代から、ずっと萩原朔太郎を敬愛するマーシーの詞は、ここ2、3年、すさまじくすばらしい。以前は、周囲や自分に対する不安やいらだちをまっすぐ反映させたロックンロールを志向した詞だったのだけれど、最近のマーシーはそれを突き抜けた感がある。けっして不安やいらだちを、ひっくり返して諦観に堕するのではなく、それを突き抜けた流飄たる雰囲気。言葉遊びや語呂合わせ、抽象的イメージと具象的イメージの混淆、そんななんやかやが丁寧にブレンドされて、マーシー一流のセンチメントへと結晶していく(関係ないけど、作詞に関してどかが心の底から尊敬できるのは、いまなら、マーシー以外にはくるりの岸田サンしかいない、シロップの五十嵐サンもザゼンの向井サンも足下に及ばない)。


本当なら「アネモネ男爵」の詞を全文書き抜いて、それでおしまい、何も言うことはありません。で済むはずなのだけれど、、、だって、何を書いても余分だし。


  ふりそそぐ月の 光はそのうち あふれだしちゃうよ
  涙のように
   ・
   ・
   ・
  ふりそそぐ月の 光の流れに うまく乗り踊ろう
  宇宙のリズム


「涙」について、美しく換喩を重ねていくこのフレーズのあとにサビがくる。


  アネモネ男爵 退屈を知ってる
  他人のために生きる 退屈を知ってる


美しく響く「宇宙のリズム」というフレーズを継ぐのが「アネモネ男爵」。なんてふざけた響き、おちゃらけた身振り、けれどもこれがこの曲のサビであり、そしてこのサビが、信じられないくらい泣ける。これはどうしたって泣ける。マーシー恐るべしのもっともわかりやすい根拠はここに見えている。「退屈」という表現だ。これは、きっとバンプやミスチル程度の言葉のセンスであれば「絶望」という言葉を躊躇無く臆面も無しに選ぶだろう。しかし、マーシーはそうはしない。まるで、ハイデガーの「倦怠」という概念を知っているかのように。「絶望」することの簡単さを知ってるからだ。「リストカット」という身振りのチープさを知ってるからだ。「恋愛」することの時間の無駄を知ってるからだ。「絶望」なんてあたりまえ、あたりまえすぎていまさら言っても仕方ない。だから「アネモネ男爵」なのだ。深く潜るのではなく、浅く波に乗る。深く潜って、新種の深海魚を見つけ出すことに血眼にならず、浅いところでそれなりのスピードとスリルに身を浸す。かってにいろんなことを憂いてるヒトを横目に、その憂いを周りに臆面もなくぶつけてるヒトを尻目に、マーシーとハイロウズは、宇宙のリズムで踊る。それが無責任だと言われようが、享楽的と言われようが。だって、もう「退屈を知ってる」から。


そう、この「知ってる」という表現は否応なく、過去の痕跡として機能する。何かを推測してそう語るのではなく、何かを経験してそう語るのである。この痕跡として機能することにかけて、わたしはヒロトのボーカル以上に優れている声を知らない(関係ないけど、ボーカリストとしてヒロトの説得力に匹敵するのは、元イエモンの吉井サンくらいしか知らない。レミの藤巻サンもアシッドマンの大木サンもまだまだ)。ヒロトの声はぐーっと時間を飛び越えて過去を包摂して飛んでくる。その場の思いつきや感情ではなく、そこに何かがあったという記憶の総体を、そのまま包摂して飛んでくる。目がくらむような説得力を持つ。だから、軽やかな曲を、かれは歌えない。あの声が、必然的にたくさんのものを刻み込まれて飛んでくるからだ。


かつ、その声をヒロトは意図的に、オーディエンスにぶつけない。これはライヴで実感するのだけれど、フロアとステージ上の視線は、決して交わらない。ヒロトはその声をまっすぐ空にむけるだけだから。オーディエンスとのコミュニケーションは望まない。こんな自分勝手なバンドがこんなにメジャーな位置でありつづけることがそもそも驚異的。でもあの、時間のひろがりを包摂してしまうような重たい声が、どんっと空に向けられて発射されるその加速度に、いっしょに巻き込まれて視線が、ココロが空に飲み込まれていく感覚は忘れがたい。ヒロトは、そしてマーシーとハイロウズは、どこまでいっても、オーディエンスを救わない。彼らは自分のことしか面倒見ない。わたしたちは、それを見て勝手に自分で救われるだけ。ここに欺瞞はない。脇の甘い環境問題やボランティアの精神がまぎれこむ、余地は無い。冷たい割り切りと断絶で、あの重たくて素敵な声は空に上がる。マーシーの詞とともに、空に上がっていく。


そして鳴るのは「他人のために生きる退屈を知ってる」というフレーズ。ここの「他人」のなかにはもちろん、わたしも含まれてる。でも「知ってる」という痕跡が、涙を運んでくれる。そしたらきっと、わたしは宇宙のリズムに追いつける。もしかしたらそうしたら、ハイロウズのメンバー達は、一緒にダンスステップを踏んでくれるかも知れない。


オーちゃんはあのたくましい胸と腕でゴリラのように? 


サキトくんはあの悩ましい指をくねらせながら?


マーシーはあのバンダナの下の目が照れていて、うつむきながら首だけリズム?


ああ、ヒロトはきっと、あのピカピカな笑顔でぴょんぴょんはねながら。


そしてダンスナンバーが終わったとき、次の曲が始まるまでの少しの間。みんなはちょっと焦点が定まらないまま、ひとつのことを思うのだろう。白井サンのことを。


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