un capodoglio d'avorio
9月19日、コクーンで「赤鬼」を観たあと、 そのままスペイン坂を登って二回目、観る。 映画でリピーターになったのは久しぶりだなあ。 でもおもしろいものは、回数に耐える。 ライブである演劇と複製芸術である映画のちがいに馴染むのに、 少し時間はかかったのだけれど、 でもおもしろいものは、やっぱりおもしろい。
二回目だから、一度目とはちがった見方をしようと思った。 各所に小ネタがちりばめられているのだけれど、 一度目で拾えなかったネタがいくつかあって、それでクスクス。
というか、大阪の観客と東京の観客で、 笑い方がかなり違うことがけっこう興味深かった。 大阪の観客のほうが、ウケが良かった気がする。 東京はけっこうシブイというか、小ネタ、気付いてるんかな? とちょっと不安になったり。
浅野忠信演じるアヤノ叔父サンの、さりげない身振りに、 ついつい引き込まれてしまう。 ああ、そうだよねー、といくつも思った。 女の子に未練があって、でも時間がたって、 そしたらヒトはあのタイミングでああいうふうにキョドるよな。 って、そこいらで思ったりしたよ、わたしわ。
ヒトは、他人に自分のことを完全に理解してもらうことは、 まず、おそらく不可能であるということ。 例えば、なんで自分がわずらわしくてひとりになりたいのか。 例えば、なんで自分がさびしくて誰かといたいと思うのか。 そういうことは、おそらく、誰にも伝えられない。
でもでも、でもね。
ヒトは、それでもいくつかの気持ちを共有することは、 たぶん、きっと可能であるということ。 例えば、いつもそばにいてくれた家族の形見分けをしたり。 例えば、山向こうに沈む大きな大きな夕焼けを眺めたり。 そういうことで、きっと、何かを共有できる。
そんなことをナチュラルに納得させられて、 ピースフルな気持ちにさせられて、 やっぱりこの映画はいいなーと思った。 そして「♪山よ」は傑作ナンバーだと思った。
追伸 ワンシーンにだけ、ひょいっと登場するくさなぎクンが、 かわいくてかわいくて仕方なかったです w
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