un capodoglio d'avorio
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2004年08月30日(月) "Roma" di Federico Fellini

『フェリーニのローマ』を見る。



『フェリーニの道化師』ほどの衝撃は、無いかも。
でも、『道』よりも好きかなー、私は。
この時期のフェリーニは、唯美主義と言っていいくらい、
シーンの美しさにかけてる気がする。


とくに。


豪雨のなかの高速道路。
ローマ名物の渋滞を、降りしきる雨のなか、
滲んだ窓ガラスの向こうに映し取るシーン。


あの地下鉄の工事中に発見された、
古代ローマの地下遺跡、色鮮やかな壁画が外気に触れてしまい、
あっという間に消えていってしまうシーン。


ローマカトリックの枢機卿たちが、
色鮮やかな僧衣のファッションショーを物見する、
想像上の風刺(郷愁)のシーン。


そしてラストの、
暴走族がローマの市内をうるさく駆け抜けていく、
そのヘッドライトに浮かび上がる、コロッセウム。


すべてが、それはもう、美しい。
フェリーニはとんでもなくロマンチストだと思う。
しかし、かれのロマンチシズムはセンチメンタリズムじゃない。
失われていく古き良き時代を守護すべきだとは思っていない。
失われていく古き良き時代を復興すべきだとも思っていない。
そこが、ただの甘ったるいロマンチストとは一線を画す。


じゃあ、かれは何を望むのか。
フェリーニは、ただ、その失われていく最後の姿を、
葬列として美しく飾りたいのだ。
仰々しい追悼の文句でもなく、わざとらしい涙でもなく、
ただただ、その葬列を美しく飾ってやりたいのだ。


そこにのみ、フェリーニの優しさは注がれる。
『ローマ』と『道化師』にどかがやられたのは、
このカッコヨサ、凛々しいけどマッチョじゃない、
フェリーニのロマンティシズムにだと思うのです。


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