un capodoglio d'avorio
2004年08月26日(木) |
パルコ・プロデュース「鈍獣」 |
この夏の小劇場界最大の話題作@シアター・ドラマシティ。ここで芝居見るのって、中学ン時の「レ・ミゼラブル」以来じゃないかな、多分。あのときはまだ「梅田コマ劇場」だったけれど。脚本が宮藤官九郎、演出が河原雅彦、出演が生瀬勝久、池田成志、古田新太(あと女の子)。それはもう、濃いラインナップ。いささか、濃すぎる。
感想。「あれ、こんなもん?」・・・ちがうな、「やっぱり、こんなんだよね」かな。ちょっと落ち着いて考えてみたら、立役者三人そろえて舞台に上げちゃったら、歌舞伎の「顔見せ」みたいになっちゃうものね。歌舞伎だったら、様式の力で並び立ってしまうけれど・・・。クドカンの脚本のおもしろさは理解してるつもり。でも、彼のナイーヴな毒とか、グレーゾーンでのたわむれとかは、立役者じゃなくてもできるんだよね。
「もったいない」んだと思う。脚本が彼らに要求するところのものは、きっと朝飯前でクリアしてしまう人たち。じゃあ朝ご飯のあと、三人の立役者はなにをするかというと、身体をもてあまさないように余技に走る。もちろん、真剣勝負な余技だから、見応えはたっぷりなわけで、客席はドカンドカン受けまくるわけで。生瀬サンとか、もう殺人的に楽しいものね。
でも・・・、こんなもんでいいの、みんな? だって、八千円もするチケットだよ? 安くないよ、高いよ、あえてこだわるけど、八千円の芝居は、普通に考えたら高すぎる、おいそれと行けない値段だ。青年団やつか芝居が四回から五回観に行けるもの。だから、とても期待値を高くしていったどかだけど、仕方ないじゃない。
「怖さをスパイスに」とパンフでは謳っていたけど、怖くない。たしかに、成志サンが血まみれでゾンビのごとく蘇るシーン、スポットとか効果音で仰々しくかざりたてるところはネタとしてウケを狙っているのはわかる。そのかわり、多分いちばん怖い、成志サンが窓から出てくるシーン。あと、生瀬サンが成志サンを撃つシーン。それもそんなに怖かない。「シャープでない、いやーなにぶーい感じ」とクドカンは言うけれど、そしてその美学はとても分かるけれど、でも「いやーなにぶーい」のと「中途はんぱ」は違うじゃない?
「いやーなにぶーい」ところを狙おうとして、シャープになってしまうエッジを切り落とすことに専心しすぎて、後にはほとんど何も残らなかった。いや、ちがう、三人の立役者の余技が残ったということなんだと思う。二本あった「キオスク」のショートコントがいちばん面白かった。という感想を持つ観客がとっても多いと言うことを、すこし、プロダクションはじっくり考えるべきじゃないのでしょうか?
そんななかで、いちばんどかが良い印象持ったのは河原氏の演出。すごいストレートで緻密で、達人達の余技を許容しつつ、締めるところは締めて、ゆるくてスカスカな脚本を、ギリギリまでしぼってスッキリ仕上げてたと思う。そう言えば、役者・河原サンはまえに「トランス」で見たけど、演出家としては初見だなー。乙葉チャンや野波サンなど、舞台初体験の女の子の動きも含めて、とてもいいプランで仕上げていたと思った。
役者では、生瀬サンが圧倒的に良かった。役どころもあるのだけれど、いちばんシャープな小ネタを、観客に気付かれなくても繰り出していたところがアナーキーで好き。逆にとってもオーガナイズドな演技は古田サン。もう、古田ブランドが確立されちゃってるので、不安はなく安心できるけれど、どかはあまり刺激がないかも。前に観た、生瀬サンと古田サンのふたり芝居「ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ」のときは、古田サンもけっこうドキドキ観られたのだけれど。成志サンは役に拘束されちゃって、もったいない。あの役なら、別に他の人でもいい。うーん、役としてはストーリーの焦点として目立つけど、演技としては生瀬サンと古田サンのふたりの恒星に飲まれかけていたなー。つか芝居に出てくれないかなー、もいちど。至上最強の木村伝兵衛だったのに。
クドカンさんの脚本の作風はとてもかっこいいしおもしろいけれど、今回の本のデキはイマイチだったと思う。やっぱり、そんなにビッグネームじゃない役者を、自分の意のままに好き勝手に虐げられるシチュエーションだと、クドカンさんの本は生きると思う。それはクドカンさんだけではなく、松尾スズキさんにも当てはまる。毒、とか、差別、とか、性、とか、悪、というものを描くのは、そういう種類の権力が必須なのだと思うのです。
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