un capodoglio d'avorio
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2004年08月27日(金) 茶の味

@梅田スカイビルのシネ・リーブルにて観る。・・・、衝撃。ちょっと、
どかの、どか史に残ると思われるくらいに気持ちいい映画。


山間の小さな町に暮らす、一家の話。みんなそれぞれヒトには言えない、小さな悩みを抱えてる。のどかな田園風景をバックに、自分の世界に「ちょっと」ディープに没頭しちゃう彼らのエピソードが、淡々とつづられて。・・・と、こう書くといっしゅん、しぶくてじみーな映画?って思われそうだけど、とんでもない。「ちょっと」ディープに、の「ちょっと」がミソなわけで、大ウケです、笑いまくりです。


CGを使うのだけど、その使い方が子供の「妄想」な世界をそのまま再現することに使われるから、とにかくうひゃーなシーンになる。巨大化した自分が山の向こうから自分を覗いていたり、額から小さな電車が空に向かって走り出したり。でも、それは「妄想」だけど、ウソっぱちなの?


と、言われると、決してそうじゃないというところが、きっとポイントなんだと思う。どかは笑いながらも、ちょっとキゥっと同時に切なくなったりするものね。だって、それウソっぱちじゃなくて全部、ホントウなんだものね。みんながみんなそれぞれの世界を抱いていて、他人から観たらつまらないことでも、本人にとっては大きなプロブレムなわけで。でも、他人にはもう、分かってもらえるはずなんかない。と、小さな子供まで、割り切って日々暮らしてるところがポイント、しかもそこに悲壮感は無い。諦めたんじゃない、割り切ってるから。


まあ、ここから悲壮感を展開しようとすると、松本大洋の「Go,Go,モンスター」になるんだろうな。しかし、石井サンは笑いをとった。


ストーリーは上記のような基本ラインをふまえつつ、けれども波の立て方がとても上手い。恣意的なドラマチックな展開は無いけれど、それでもちゃんと、淡くてきれいなカタルシスがちゃんと待ってる。説教くさくないけど、でもスッとなにか大切なことが言葉じゃなくて映像と音楽で心に織り込まれる感じ。石井サンのすてきなところは、ギャグのセンスやCGのセンスじゃなくて、もっと見えないところにあるんだ。


小学校1年の女の子役の坂野真弥チャンの演技がずばぬけてすばらしい。なんなんだ、この娘は。あと母親役の手塚理美サン、転校生役の土屋アンナっちも良かった。みんな「ちょっと」ディープに自分の世界にのめりこみつつ、けれどもみんな夕陽で、繋がっている。リトルテンポの音楽も、カメラワークも、ぜんぶがきちんとこの一点に収斂してくる。薄っぺらい予定調和のではない、もひとつのユートピアを映し取って、この映画は傑作だ。


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