un capodoglio d'avorio
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2004年07月26日(月) 松本大洋「ナンバー吾(6)」

今回のハイライトは、マイク(ナンバー王)と尚昆(ナンバー仁)の、囲碁による対局。拳銃を手にした尚昆の俯く顔が切ない。連載初期から比べるとときおり描線がラフに乱れる。これはしかし、松本サンにとっては了解の範囲内のブレであり乱れなのだろう。

まるでドイツ表現主義のキルヒナーのような振動する輪郭によって、不安や高揚を身にまとうキャラクターたち。そしてそもそものキャラクターの造形がしっかりしているから、この振動する輪郭がむしろ効果的に彼ら彼女らの関係性の総体を浮き彫りにしていくのだろう。


 マイク 僕の城へ来ないか?
     皆が君を待っているよ

 尚昆  彼らは君の感情が複数化した存在に過ぎない

 マイク 素晴らしいことだろ?

 尚昆  炎は絶えず生まれ変わり
     一瞬たりとも同一ではないよ

 (松本大洋「ナンバー吾」6巻より)


ギリギリまで彫琢されたネームは、振動する描線とは対照的に、確固たる実在性を持つにいたる。およそマンガという表現手段において、ここまでネームが吟味され尽くしたことがあるのだろうか。などとどかは思ってしまうくらい、いっさいの無駄を排したそれは眩しくすらある。

このネームと描線の性格を異にするふたつのファイズの間で、とうとうと経過していく時間、それがこのマンガの物語である。


 マイク 僕に対する強い殺意
     同時に愛情も感じることができる

 尚昆  自らを試しに来たのだな・・・
     僕を利用して・・・

 マイク 君に託すのさ、尚昆
     僕が最も尊敬する賢者の君に委ねるんだ

 (同上)


ウソである。マイクは尚昆を殺しに来たのだ。しかし自ら手は下さない。これから自らが築く「理想の世界」のために、将来の禍根となるかも知れないかつての部下であり親友を殺すために、マイクはただ、自身のカリスマに拠る。それを尚昆にぶつければ、彼はその内面化が進んでしまう自らに絶望して、安心のうちに自ら命を絶つ・・・、これはある意味、ビクトルが銃で頭を撃ち抜くよりも残酷な仕打ちだと思った。こういう内なるやりとりをサラッと描いてしまう技量は憎々しさすら感じるほどに図抜けている。

あまりにも俗悪で凡庸な軍上層部に対して、あまりにも幼稚で潔白なマイクの対立構造。そこに今後、混濁併せ持つ存在としてユーリ(ナンバー吾)が再度登場してくるのだろうか。そのとき、やっぱりキーになるのはユーリのマトリョーシカに対する愛情なのだろうか。

理想とカリスマと権力という三つの動態をスパーッと描いていく筆致にはいささかの衰えも無い。ただただ、身体に気を付けて、連載を続けて欲しいなーと願うのみなどか。


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