un capodoglio d'avorio
passatol'indicefuturo


2004年07月17日(土) ジムで考えてたこと


ちょっと、ごくごく限られたトピックについての、私的な感想分です、分からないヒトは読み飛ばしてください。


わたしは、東京のICUという場所から離れて踊るということは考えていません。やっぱりちょっと、地元の人たちと一緒に踊ってみたいなあとは思いますが、それはできないです。筋論や真義論で言えばもちろん、東京で踊ることのほうがよっぽど危ういのですが、それでも私は東京のICUと自分を繋げて踊ることでしょう。それはわたしの礼儀と恩義の問題です。ここにすでにねじれがあること、論理的にズレがあることを私は認めます。認めた上で、地元にダイレクトにリンクすることはためらわれます。


しかしだからといって、東京が、地元から孤立して踊り続ける姿は致命的におかしいです、間違っています。いろいろ不幸な行きがかりがあって、この現状になってしまったことは誰もが認識するところですが、だからと言って、東京の私たちが地元との繋がりを諦めてしまうのは間違っています。例え地元が今回、その繋がりを断つことを求めてきたのであってもです。本来なら、地元と繋がりを再び築くまで、東京はその芸能のいっさいを封印するのが筋です。これは間違いありません。


けれども私たちは幸いにも、東京のICUという場所で踊ることができています。これは、私たちの「権利」ととるヒトがいるとすれば、傲慢にも程があります。これは、地元の方たちがかろうじて認めてくれた、ささやかだけれどとても深い「許可」に他なりません。そもそも、この「許可」を「権利」とはき違えたところに、問題の端緒があるのではないでしょうか。


なぜ、私がいまさらこんなことを書くのかと言えば、いま時間がどんどん経過するに連れて、東京で踊っている人たちがいまの状況を当たり前の「権利」として享受するようになってしまったのではないかと思えたからです。私は時間が経過することで、きっとまた、繋がりが回復できると、そこに希望を持っていました。しかし、これまでの時間の経過は、決してそのような希望を持てるものではなく、むしろ逆です。私たちは時として、あまりにも身勝手に過ぎ、あまりにも物忘れがひどく、あまりにも無礼です。


少なくとも、いま私たちが手にしているこの、かろうじて与えてもらったささやかな「許可」を、日々、再確認しなくてはなりません。『大人の判断でお願いします』とは、<排除>の言葉ではなく<許可>の言葉だったのです。この認識に立てば、自ずと、稽古場の空気は変わるのだと思います。あの芸能は生半可な気持ちで練習していい芸能ではありません。単に、楽しく身体を動かしたいのであれば、もしくは単に、どこかしらへの所属感を求めるのであれば、他にも選択肢はいくらでもあります。


ですから、時間の経過をこのまま絶望に伏せてしまうのではなく、時間の経過を何とか希望に変えていかなくちゃと私は思います。


繰り返します。過去、数十年の「歴史」はリセットされました。いまここから、またひとつずつ、誠意をもって積み重ねていく必要があります。時間は流れるのではなく降り積もるものだと思っています。そう、私は思うのです。


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