un capodoglio d'avorio
2004年07月14日(水) |
ベン・ニコルソン展@東京ステーションギャラリー |
どかの「七月上京」の最終行程、東京駅発の帰りのバス待ちの時間で行きたかった展覧会がこれ。イギリスの20世紀の画家ベン・ニコルソンの展覧会。もともと行くつもりだったのだけれど、偶然、サークルの後輩えーこチャンから招待券をもらうことができてラッキー(ありがとー、えーこチャン!)。
ニコルソンというと、ブラックとモンドリアンのあいのこ、というイメージがある。悪く言えば中途はんぱ? でも、どかはこのキュビスムにもミニマリスムにも染まりきらない「あわい」の部分でフラフラしている彼の作品はわりと好きだったかも。たしかにちょっと軽いなあとは思うのだけれど。
でも、どかのそういうイメージはすこし間違ってたらしい。ニコルソンは物質性というものをできる限り排除したところで製作していたと思っていたけど、ちがった。このヒトのメインのカテゴリーに【レリーフシリーズ】というものがあるらしい、どか知らんかった。
【レリーフシリーズ】というのは、特殊な支持体をキャンバスとしてあつらえ、それを彫り込んでいく手法による。ニコルソンの場合はその彫り込みを入れることによって、いくつかの重なる平面としてその支持体が立ち現れてくる。そしてその平面ごとにグラデーションをつけて彩色していくという一連の作品群だ。
どかはいわゆる平面のモダンアートに、物質性をことさらに強調してぐいぐり絵の具を過度に盛り上げていくスタイル(それこそゴッホやデュビュッフェくらいまでなら許せるけど)や、カンバスを切り裂いて立体感を出すというスタイル(ひひ、もろ個人攻撃だな、私)はあんまり好きじゃない。マッチョな感じがするし、第一押しつけがましい。
かつ、何よりも「物質性」を謳いながらも、その製作の段階では極めて安直かつ平易な手法で実現されているのが、うすっぺらいなあと思う。でもね、ニコルソンの【レリーフシリーズ】は違うんだな。最初は、少しだけ彫り込んだ感じで少しだけ立体となって浮き出てきて、それが何? という感じなんだけど、このホンの僅かな「平面の重なり」を支持体に実現するために彼が費やした労力というのはかなりのものだったと言うのだ。
ひとつの平面を別の平面の下にするためには、その平面の見えてる部分全体を一様に、うすーく彫り下げなくてはならない。単に重なってるヘリの部分だけを彫ってもこうはならない!
ということにやっと気付いたすっとこどっこいなどかは、晩年の【レリーフシリーズ】のひとつ《氷ー褪せたー青》にめちゃくちゃ惹かれた。うーん、感動した。すべての重なり合いに、うっすらにじむ物質性のリアリティ、かつ物質性に頼り切らない茶色と水色という補色の組み合わせの新鮮さ、そしてその茶色と水色も、それぞれくすんだトーンで統一されつつもグラデーションがつけられて、ひとつ一つの平面の重なり具合をフォローするかのごとく響きあっている。
ああ、イイ作品だなあ、これは。欲しいもん。欲しい、これ。誰か、買ってよ、どかに。部屋にあってもいいと思える。もちろんデカイから、壁一面これになっちゃうけど、それでもいいなと思う。とても落ち着く。平衡を、とってくれる。
《氷ー褪せたー青》って、テートギャラリー所蔵なんだなあ。でもどか、てテートは数え切れないほど通い詰めたけど、これ、観たことないよ? うーん、展示待ちで倉庫の中だったのか。もったいないぞ、テートよ。
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