un capodoglio d'avorio
2004年07月10日(土) |
つか「熱海殺人事件 平壌から来た女刑事」(稽古場公演)前編 |
半年ぶりのつか芝居@田端文士村記念館、ソワレ。キャスティングは以下の通りで、現時点の北区としては出色のラインナップか。
木村伝兵衛部長刑事:赤塚篤紀 水野朋子婦人警官 :黒木メイサ 榊原英祐刑事 :チョウソンハ スナカメ :小川岳男 容疑者大山金太郎 :友部康志
北区の稽古場での今回の公演。脚本は例によってまた、変更がくわえられている。今回の改訂におけるつかサンの狙いはきっとただ一点・・・
<何が何でもハッピーエンドに>
・・・だ。そしてハッピーエンドにするためには、より、現実の救いの無さを戯曲に織り込む必要がある。つかサンにとって劇作家であるということは、この二律背反と常に取り組むということに他ならない。
実際、劇中にはありとあらゆるつか風エッセンスが織り込まれる。昨今の幼児殺害事件や拉致事件などを踏まえるためにつかサンは、神戸少年Aの事件や金丸訪朝団の米支援という既に風化しつつある事件に再びスポットを当てていく。もちろん定番の和歌山カレー事件や、金正日と歓び組の件は織り込み済みのもので。
つまり、つかサンにとっての<ハッピーエンド>とは、ちまたにあふれる妥協の産物としてのそれではない。血がにじむほど歯ぎしりしながら待ち続けたすえにようやくあわられる、オーロラのすそにしがみつく過程なのだ。マイナス30℃の氷原で立ちつくす力が無いと、そのすそすら見つけられない。つかサンはそれを痛いほど知っているからこそ、プロットがもはや破綻していようとも何が何でも全ての悲劇を、この伝兵衛の捜査室に収斂させようと試みるのだ。
そして、それらを全て受けていく存在としての木村伝兵衛、つかサンは伝兵衛の造形をこれまでとは大きく変更した。つまり<悲しく共に泣く伝兵衛>から<悲しいけど笑う伝兵衛>にだ。これには、どかもかなりビックリ。最近の北区の『熱海』を観てないからどういう流れだったのか分からないんだけど、どかの勘では恐らく、つかサンはあっクンという北区のエースを伝兵衛に迎えたことでこの造形の変更を決意したんじゃないだろうか。それくらい、冒険だ。ヘタをすると最後のクライマックスのシーンだけ、かるーく浮いてしまうリスクを冒すと言うことでもあるのだもの。
つまり、あの伝説のセリフである。先達の伝兵衛、池田成志がラストシーンでかましたあのセリフ・・・
うーん、いい火加減だ! (つか「熱海殺人事件」より)
・・・の復活である!このひとつのセリフを最後に持ってくるために、どれほど演出家と役者は苦労したことだろう。はっきり言って無謀だ。紀伊國屋ホールにてのロングラン公演で見せた伝説の伝兵衛、池田成志が妖艶な色気とはち切れるテンションで伝兵衛のひとつのひな型を創り上げた90年代初頭とは、もはや時代が違うのだ。あの時代のどんな暗い絶望すら、いまの時代の明るい希望として見えてしまう、それほどの時代の差違を超えて、同じセリフを復活させようとしたのである、このお人は。
そして僭越ながら言い切ってしまうのだけれど、どかは今回のこの賭、つかサンは残念ながら負けてしまっているとみる。
(続き)
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