un capodoglio d'avorio
どかは江國香織を続けて読んでたときがあった、 あれは3年前になるんかな、もう。 きっかけはサークルの後輩の子から勧められたことだったんだけど、 その後、続けて読んでいった理由とは、 自分が自分で「江國ワールド」のことを好きなのか苦手なのか、 判然とつかなかったから。 何かしらの手応えがあって、柔らかいショックはあるんだけど、 それがどっちの転ぶのかがよく分からないから、 じゃあ、はっきりするまで読みましょうと思ってた。
その後、・・・はっきりした。 どかは江國サンは、苦手だ。 苦手な理由を挙げていくのはキリが無い。 一番大きかったのは文体かなあ。 最近発見した自分の法則のひとつに「文体フェチ」というのがある。 どかは江國サンの文体に、 常に途絶えることのないあまり好ましくない刺激を受けてしまうのだ。
でも・・・、好きな部分もある。
少し、自分が変わったなーと思う部分もある、江國サンに触発されて。 というか、自分のなかで思ってたことを、上手に言葉にされてるのを見て、 悔しい想いをした・・・というほうが正確かも知れない。
それは、恋心における大人とガキという話。 もしくは、恋心における独占欲という話。
相手を独占したい、と思わないようなのは恋とは呼ばない 相手を独占したい、と思ってはじめて恋である けれども、それを本当に独占し切ることができると思いつつ、 だから相手を拘束しようとやっきになるのはガキ そして、それを本当に独占することなど不可能なのだと分かっていて、 それでも相手を拘束しようとジタバタするのが大人 あと、独占したいくせにそれを隠すのは、中途半端ななれの果て
これは引用じゃなく、どかが「江國ワールド」原則を勘案して書いただけ。 でも、これに関しては、いささかも反論することが出来ず、 そしてどかが何となく思ってたことをさらに突き進めたような結論に、 ちょっと、ほんの少しだけどね、脱帽した。
恋愛の野蛮さ、凶暴性、無秩序さ、そんなのを認識しつつ、 それを押さえるのではなくソッと野に離す感覚。 その芝生の行き着く先は切りたった崖になっていて、 結局、その崖の向こうにいる獲物にはたどり着かないんだけど、 それを分かっていて、ソッと野に離す感覚。
ガキでもなくなれの果てでもなく、 そんな大人ってカッコいいなあとは思う。
きっと、今週読んだバタイユもそういうことを言っていたんだなーと、 ふと、自分の中で結びつくことがあったので、 ちょっと口はばったさ極まれるテーマだけど書いてみた。
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