un capodoglio d'avorio
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2004年06月07日(月) 京都薪能

一週間前なんだけどね・・・。

火曜日の授業終わってから、こころ的な悪しき流れを、
何とか変えたくてそれで、気になってたサークルをのぞきに行く。
「能楽部・観世会」。

ボックスと呼ばれてる古い2階建てのアパートみたいな建物の、
2階部分をぶち抜いて、スペースを取ってあり、
驚いたことにちゃんと3間四方弱の敷き舞台があった。
いいなー、専門の練習場。

部員さんに自己紹介して、ちょろっと話をしていたら、
平安神宮で開催される薪能に誘われる。

  ちょうどチケット、余ってるんですよー

  ま、マジッすか

と、節操なく飛びつくどか。
やー、でもねー、どかもちょっとしんどかったんだよー。
なんか、そういう「運命」を信じてみたかったのね。
自分の力ではない何かで流されていく、その浮遊感に賭けてみたかった
(それほどに、日本ダービーはショッキングだった)。

気持ちの良く晴れ渡った夕方の京都の街をポテポテ歩く。
部員さんのひとりと話ながら、ひんやり冷たい風が頬をなぜていく。
気付いたら、平安神宮の前にどかはいた。

人生はふしぎだと思った。
肩の力が抜けていく。
抜けて初めて、肩に力が入っていたことに気付く。
いつの間にか大きな流れがこんなところにどかを運んでくれた。

感謝するのは、忘れないようにしよう。



▲ 夕闇迫る屋外舞台、正面の良い席・・・

どかが観た演目は「安宅」、迫力満点のトライアングルフォーメーション、
マイケル・ジャクソンの『スリラー』みたいだった
(やっぱちょっとおかしい、どか?)。

義経役の子供の声が清々しく響き渡る。
ちょっと、涙がこぼれそう。


どか |mailhomepage

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