un capodoglio d'avorio
一週間前なんだけどね・・・。
火曜日の授業終わってから、こころ的な悪しき流れを、 何とか変えたくてそれで、気になってたサークルをのぞきに行く。 「能楽部・観世会」。
ボックスと呼ばれてる古い2階建てのアパートみたいな建物の、 2階部分をぶち抜いて、スペースを取ってあり、 驚いたことにちゃんと3間四方弱の敷き舞台があった。 いいなー、専門の練習場。
部員さんに自己紹介して、ちょろっと話をしていたら、 平安神宮で開催される薪能に誘われる。
ちょうどチケット、余ってるんですよー
ま、マジッすか
と、節操なく飛びつくどか。 やー、でもねー、どかもちょっとしんどかったんだよー。 なんか、そういう「運命」を信じてみたかったのね。 自分の力ではない何かで流されていく、その浮遊感に賭けてみたかった (それほどに、日本ダービーはショッキングだった)。
気持ちの良く晴れ渡った夕方の京都の街をポテポテ歩く。 部員さんのひとりと話ながら、ひんやり冷たい風が頬をなぜていく。 気付いたら、平安神宮の前にどかはいた。
人生はふしぎだと思った。 肩の力が抜けていく。 抜けて初めて、肩に力が入っていたことに気付く。 いつの間にか大きな流れがこんなところにどかを運んでくれた。
感謝するのは、忘れないようにしよう。
▲ 夕闇迫る屋外舞台、正面の良い席・・・
どかが観た演目は「安宅」、迫力満点のトライアングルフォーメーション、 マイケル・ジャクソンの『スリラー』みたいだった (やっぱちょっとおかしい、どか?)。
義経役の子供の声が清々しく響き渡る。 ちょっと、涙がこぼれそう。
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