un capodoglio d'avorio
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2004年06月04日(金) ハイロウズナンバーのちから

かつて政治家「大」田中角栄はみずからの派閥の子分を評してこう言った。
 平時の羽田・乱世の小沢・大乱世の梶山

そして漫画家「鬼才」いしいひさいちは現代思想家を評してこう言った。
 平時のガダマー・乱世のハーバーマス・大乱世のデリダ

そして不肖「ドロップアウター」どかは、三つのバンドを評してこう言いたい。
 平時のポラリス・乱世のナンバーガール・大乱世のハイロウズ

・・・お遊びである。でも、最近、ハイロウズナンバーのちからが身に沁みてるので、ちょびっとだけ書きたいなと思う。どかにとって、ハイロウズに対する新たな発見などもはや何も無いと思っていたのだけれど。

ハイロウズのメロディはよれよれである。演奏や歌がよれているのではなく、メロディ自体がよれよれなのだ、エレファントカシマシと同じくらい、よれている。それはアシッドマンやくるり、もしくはレミオロメンなど、優れたメロディメーカーがいるバンドのナンバーと比べたらすぐ分かる。ハイロウズナンバーのコード進行それ自体はオーソドックスを通り越してもはや古典的でしかなく、新たな発明はもはや、無い。リズムも、そんな変拍子も無く凝ってもいない。極めてオーソドックスで速いことは速いけれど、珍しいリズムでもない。

そういう意味で2004年という時代をキャッチアップしていないから、どうしてもマスコミの取り上げ方、ラジオでのオンエアのされ方などは、少しずつデプレッションな印象がある。もちろん、これはいまに始まったわけではなく、ハイロウズは結成した瞬間から「そう言う意味」ではデプレッションだった。しかし、そのよれよれなメロディの時代遅れなバンドのナンバーが、かなりくたびれてヘロヘロなどかに対して、こんなにも強い「作用」を及ぼしているのは、事実。このちからはどこから来るのだろう。

ハイロウズには「♪千年メダル」という代表的なナンバーがある。3rdアルバムに収録されて、ハイロウズにしては珍しくメディアの露出が展開されたナンバーで、HEY!HEY!HEY!などにも出演した曲。ちょっと聴いて、明るくアップテンポで、いかにも「脳天気」な「ロックバカ」というハイロウズのパブリックイメージに合致する曲でもあった。

けれども、どれだけのヒトが、この曲の歌詞をきちんと聴いているのだろう。これは、
「絶望的な片思い、おそらくはストーカーの心理、欲動の地下水脈」
が織り込まれている歌であり、どれだけのヒトがそのことに気づけたのだろう。

例えば、この「♪千年メダル」での<私>は「この恋が表彰されることがあったならば、君がメダルを受けて欲しい」と歌う。でも、ここですでに決定的に<私>はねじれている。なぜなら<私>自身が一緒に表彰台に登ろうとは決して言わずに、<君>だけが表彰されて欲しいと歌うのである。ふたりで幸せになることは、暗に、しかし強固に拒絶し、君だけがこの恋で幸せになって欲しいと歌うのである。

またその他のフレーズにおいても、<私>が<彼女>に対してコミュニケーションを望む様子は一切見られない。これは決して「たまたま」なのではなく、<私>はつねに<私>の世界で完結していて、そしてどんどんその内圧を高めていくベクトルを保持しつづけるのである。つまり、もはや、<私>は<彼女>を見ておらず、<私>しか見ようとしていない。そして、自分ではない誰かに「運命的」に惹かれたことを経験したヒトであれば、こういう「風景」というのは身近なものだとどかは、思う。

こんな詞を持つ、よれよれのメロディと平凡なリズムのナンバーを、ハイロウズは、鉄壁の演奏力とテンションで、ナンバー自体が瓦解するかと思うほどの加速度を与えていく(単純に曲が速くなるという意味ではもちろん無い)。そして、その加速度に負けないエネルギーを、ボーカルの甲本ヒロトがこの詞に与えることで、「♪千年メダル」は成立する。

よれよれのメロディと、ふらふらのストーカー。甲本ヒロトはしかし、これらに祝福を与えているわけでは決してない。かつてブルーハーツ時代の彼は、これらふたつを後押しするかのように「応援」したものだったが、ハイロウズになってからの彼は決して「応援」することはしない。かといって、そのまま「祝福」もしていない。そんなのは既にミスチルで間に合っているのであって、いまさらヒロトがやる必要もない。

じゃあ、ヒロトは何をしているのか。ただ、彼は、そこに「温度」を与えようとしているのだと、どかは思う。空虚な妄想の世界とチープなメロディにおけるアナロジー(類似性)をふまえて、それぞれを倍加した挙げ句、そこに自らの命を削ってただ、「温度」を与えようとしているのだと、思うのだ。自分の声帯を震わせて発語の波動をメロディと詞にぶつけ、そこに生まれる摩擦熱をただ、欲しているのだと思う。そこには、水平方向のコミュニケーションは、無い。お互いに交わる視線も、無い。幸せに満ちた双方の合意も、無い。あるのは、ほのあたたかい「温度」が、フッと頬を触るだけ。聴覚でも視覚でも論理でも感情でも知性でも品性でもなく、ただ「温度」がそこにあるのだ。

ストーカーの暗い欲動は、「温度」を得て初めて、永久凍土から融けて流れ出し、地下水脈を巡回しはじめる。わたしたちは、自らの中をも通過している深い深いその地下水脈と、ハイロウズのナンバーを通じてリンクする。自分自身の暗い欲動を「無視」したときにこそ悲劇は起きる。永久凍土に包まれたままでそれが窒息しそうになった瞬間にこそ、悲劇は、起きる。ならば、自らの中をも通過していく地下水脈にリンクし、そこに<私>をひたし、沈め、くみ上げるという儀礼でもって、繰り返し繰り返し、<私>を破壊しなくちゃなのではないか。生産的という言葉だけが、通行パスとなるような世界では、もはやないのではないか。

「生産的」なポップやロックが蔓延する2004年にあって、どかはハイロウズの「時代的」ロックが持つ価値を声を大にして言いたい。はげしくよれていくメロディ、実はエキセントリックな詞の内容、そこに、鉄壁のリズム隊の演奏に、最強のボーカリスト・ヒロトが布置されたときに起こる、淫靡で華麗な破壊と横溢。例えば「♪千年メダル」とは、そういうちからを持ったナンバーである。


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