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2004年05月01日(土) 企画・野島伸司「仔犬のワルツ」〜第3話

第1話、のっけから「野島節」が炸裂した。

  芸術家は本来、人間の進化と逆行していると言える
  なぜなら、遺伝子は戦略的に長く生きることを目的としているからだ
  つまり、苦悩や争いを避け、傍観者として長く生きながらえる方が、
  その目的にかなっていると言える
  すなわち、平凡に生まれ、平凡に生きるということだ
  だが愚かにも、芸術家はまるでその逆だ
  しかし、だからこそ美しい
  神々に逆らい、川の流れに逆行し、自らの身体を傷つけ、
  磨かれる小石はやがてダイヤモンドになる
  平凡な人々は、そのダイヤモンドに絶望的な憧憬を見せるのだ
  それが芸術家だ
  (「仔犬のワルツ」第1話より)

「プライド」とは異なり「仔犬のワルツ」で野島サンは、
自ら脚本を手がけるのではなく、企画に留まった。
そして実際に書いていくのは吉野万里子という新人脚本家。
けれども、この冒頭のシーンを見る限り、
企画・野島伸司の影響力はかなり強いことがうかがい知れる。
自ら書き下ろせないという今回の「しばり」は、
それでも前回のフジ月9という「しばり」よりも緩いのだろう。
だからこそ、この「野島イデオロギー」がこれほど端的に炸裂したのだろう。
イデオロギーが薄まってしまった「プライド」よりも、
手応えがあるかも知れないと、どかは思った。

ストーリー。
盲目の孤児院あがりの女の子・葉音には、
「パーフェクト・ピッチ」という才能があった。
身よりのない彼女を苛酷な境遇から救ったのは水無月芯也。
芯也は葉音にピアノを弾いてくれと頼むが、そのことはすなわち、
葉音が、有名音楽大学の後継者争いに巻き込まれていくことを意味していた。
欲望渦巻く激流の最中、イノセントの結晶・葉音の運命は?
という感じかな、ちょっと引いてしまうくらい少女マンガチックなプロット。
でもそれを言ったら「プライド」は笑っちゃうくらい、
少年マンガチックなプロットだったから、
きっと最近の野島サンは現実からメタ的に距離をとった、
寓話的な作劇法を志向しているように思える。
第1話では、葉音に対するイジメが描かれていたのだけれど、
この寓話性・隔世感ゆえに、観ていてもあまり辛くならない
(cf.90年代野島ドラマ「人間失格」や「聖者の行進」のイジメシーン)。

けれども、図らずも寓話性を高める要素として、
機能しているように思われることは「役者の拙さ」だ。
あんまし言いにくいことだけど、ヘタクソすぎる。
安倍なつみは、演技というほどの演技を要求されない役だから、
別段、気にならない、きれいな顔だし、いまのところ無難かな。
水無月譜三郎役の岡本健一、学長役の竜雷太はまだいい。
でも、安倍なつみの相手役・芯也の西島秀俊をはじめ、
杉浦幸、塚地武男(ドランクドラゴン)、風間トオル、小柳ルミ子など、
メインの顔ぶれが全てうまくないのはどういうことだろう。
まさか、このキャスティングは視聴者の感情移入を妨げて、
寓話性を高めることを意図していたというのだろうか?
まさか。
だって、これは日本テレビ開局50周年記念ドラマでしょ?
45周年記念ドラマは同じく野島ドラマ「世紀末の詩」で、
あれは良かったのに、キャストも脚本も・・・。
そして、某フジテレビの記念ドラマ「白い巨塔」と比べてしまうと。。。

さりげなく市原隼人と忍成修吾の「リリィシュシュ・コンビ」が、
そのまま配役されていたりと、どかの心をくすぐってくれてるだけに、
このミスキャストっぷりには、、、批判を通り越して興味深い(^_^;)
とりあえず、このコンビに注目かなあ、にしても市原くん。
「リリィ」から随分成長したんだなーと嬉しくなってしまう。
もう、少年じゃなくて、男性だねー。

ストーリーの展開は、まだそんなに激しく展開してないから、
まあ、これから注目という感じ。
キャスティングの難ということにさえ目をつむれば、
かなり、いろいろどか的に楽しめそうな要素は多そう、
それこそ「プライド」よりも。
期待きたい。

あ、もひとつだけ、難。
主題歌<つんく&安倍なつみ>だけはいただけないっす。
これだけ寓話性、隔世感を強く出しているんだから、
そんな有り体なナンバーを持ってきてもしかたないやん。
日テレさーん、お金の使い方、へたくそだよー。。。

(次回からはグチはなるべく、おさえます。。。)


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