un capodoglio d'avorio
2004年03月22日(月) |
(高知)YSダービージョッキー特別 |
高知競馬10R・ダート1300m・5枠5番、 宗石大厩舎所属・鞍上武豊(中央)・ハルウララ号。
競馬がここまで衆目を集めたのは、 90年のオグリキャップ以来では無いだろうか。 オグリというスーパースターの登場によって、 13年前にこの国に空前の競馬ブームが訪れた。 当時中学3年生だったどかは、いつものニュースで流れた、 いつもと違う映像に、それはもちろんあの、 オグリキャップの伝説のラストラン・有馬記念だったのだけれど、 それを観て「ごっつい人やなあ…」とボーっと思ったのを覚えている。 社会現象とまで言われる馬が登場したのは、あれ以来だ。
どかは、ハルウララ、あまり好きくなかった。 別に競馬新聞を買ったことも無い女子高生とかが、 ハルウララの小さいぬいぐるみを鞄につけているのが、 違和感がある、とか言うことではない。 ディープにはまって人生棒に振った競馬マニアも、 血統に詳しい予想マニアも、パドックに強い馬体マニアも、 みんな最初はにわかファンだったのだから、 それをやいのやいの言うつもりはない (でも実はある、後述)。 どかがヤだったのは、2つ。 その1、連敗し続けてもがんばって走り続けている馬は、 ハルウララだけではないし、100連敗した馬なんて他にもいる。 スターでもない彼女だけに、スポットライトを当てることへの違和感。 その2、いわゆる「負け組」讃歌みたいな持ち上げ方、 こう社会状況とある程度リンクさせる動きというのは、 ある程度仕方ないけど、 何かこう「プロジェクトX」や「♪地上の星」にどかが感じる嫌悪感と、 同じ臭いをかぎ取ってしまうから。 紙一重だけど、どうも安い自己憐憫の側に堕ちてる気がする。
でもそう、これは全部ハルウララを取り巻く状況への違和感であり嫌悪感。 馬に、罪は無い。
と思って、BS-iで実況を観ることにする。 ゲート入りはスムーズに見えたけど入ってから「イヤイヤ」する。 ああ、やっぱり気が小さい仔なんだなあと思う。 出自体はそんなに悪くなかった、先行馬がダーッと先を走り、 スタンド前の直線で既に、豊サンの桜色の勝負服は泥まみれ。 軽く手綱で気合いを入れるそぶりを一定間隔で入れている。 いつもよりもずーっと慎重に乗ってる気がする。 気持ちよく気持ちよく走らせてあげたいという鞍上の気遣いが、 動き続ける鞍上の手に見える。 小さいダートトラック、きついコーナーを回る、 3角ぐらいで、すでに脚が上がっているように見え、ズルズル後退。 4角、一瞬、後退を止めて踏ん張りを見せるも、ブービーまで。 2回ほど、鞭を入れたかな、でもそれでも見せ鞭の使い方や、 手綱での気合いも含めて、鞍上は優しく、かつベストを尽くしていた。 …、豊サンの誠実な乗り方に、心が動くどか。
さっき、豊サンの公式サイトの日記を読んで、また感動する。 以前からジョッキーはあんまり気乗りがしないということを告白していた。 勝つことが目的である競馬の世界で、負け続けることを賛美する風潮は、 どうかと思う、ということも以前書いていた。 それでも騎乗依頼を受けたのは、 彼のトップジョッキーとしての社会的立場の自覚からだ。 低迷する競馬人気、とくに地方競馬場は次々と閉鎖に追い込まれ、 厩舎や馬産地も日々追いつめられているとき、 例え不本意であっても競馬人気再燃のキッカケになるかもなのであれば、 と、いう責任感からである。
豊サンの高知競馬の感想記には、 ともかくもこの「特別」な1日を終えられたことへの安堵と共に、 この異常な盛り上がりへの冷静な感想と、 本当に真摯に競馬界を思う心から来た提言が記されている。
「この日本中が注目したレースの1着賞金の金額を、 みなさんはご存知なのだろうか」ということだ。 あまりにも、あまりにも低いその金額を知ったなら、 きっとみんな、唖然だろう。 どかも、もしハルウララが紛れもないスターなら、 それはスポットライトが生む光と影も致し方ないし、 そこにのみ、真実があるとも思う。 でも、ハルウララは、スターではない。 それはきっと調教師もジョッキーもみんなが思ってる。 ハルウララのみにスポットライトが当たっているこの状況を、 次のフェーズへと押し出すために視野を広げて行かなくちゃ。
それ以外にも、この日の豊サンの日記はいろいろ感じ入るポイントしきり (勝つことこそ美しいとか、正直な馬の印象とか)。
ともかく。
きょうの高知競馬、第10Rは決して名レースではなく、 凡レースでもなく、普通の競馬だった。 走る馬は美しいから、泥まみれでも美しいから、 ハルウララも含めて、出走馬みんなちゃんと、美しいという、 普通の競馬の当たり前なレースだった。 かつてオグリキャップがラストラン・有馬で見せた奇跡の復活劇、 そしてトウカイテイオーがラストラン・有馬で見せた奇跡の復活劇。 勝つことこそ美しい、そこにある美には残酷がふくみ込まれている。 そんなことは百も承知だからこそ、オグリやテイオーはスターだったし、 90年や93年の有馬記念は普通じゃない、特別なレースになったのだ。 どかは、力を信仰するし、光を信仰する、スターがかっこいいし、好き。 どかは最後まで、ハルウララには魅せられなかった。
でもきょう、それにまたがったヒトには魅せられた。 文句なしに感動した、そんな1日だった。
(おまけ)
にわかファンでむかついたこと、ある。 スタンドやパドックでのマナー悪すぎ。 馬に向かって、フラッシュ焚いたやつ、もう頼むから○んで欲しい。 ほんっとに最低だ、以上。
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