un capodoglio d'avorio
2004年03月17日(水) |
平田オリザ「『リアル』だけが生き延びる」 |
That's Japanというブックレットのシリーズの1冊。どかはこのシリーズを買うのは2冊目、最初に買ったのは姜尚中の「アジアの孤児でいいのか」。くしくも両方、某大学にゆかりのヒトたちだった。
これまで平田サンの著作を、どかは大体読んでいて、こんかいは聞き手がいる対談形式なのだけれど、主だった論点は知っていることだった。ただ、いままでの著作と比べて、言葉や論旨がかなり平易でクリアーになっているなとは感じた。とにかく、語り口がどこまでも明快で論理的。さすが演劇界随一の理論派。聞き手が投げかける質問に、スパッと答えていく姿が行間から浮かび上がってくるほど。
それで内容はというと、前半は、平田サンの演劇論について。後半は、アートマネジメント全般への語りとなっている。でも、いつもこのヒトの著作を読んで思うのだけれど、このヒトの演劇論って、単なる演劇に終始しているとは思えない。もっと、こう、大きなことを語っているように聞こえる。物事の本質とは、やはりそこまですべからく汎用性を持つということなのだろうか。思わず、我が身を振り返って反省してしまうような箇所、多数。
純粋に演劇論的ポイントに絞ってみると、新劇、唐や寺山、つか、野田、鴻上、劇団四季やキャラメルなどを語って、鋭くスパッと本質を言い当ててしまうくだりが面白くて仕方がない。そのときに持ち出される「近代性」や「西洋性」という概念も、とても適切だと思う。どかは四季、キャラメル、いま現在の鴻上はあまり好きじゃなくて、つかと野田は大好きだけれど、平田サンが彼らの中に見る「ねじれの構造」というのは正しい指摘だと思う。そしてきっと、つかを好きでキャラメルを嫌いというどかの嗜好の分水嶺は、そのねじれを批判的に演じているか、無批判に溺れているかというところなのだと思う。
話がずれたけれど、ずれたついでにもすこし。演劇評論家の長谷部浩サンの対談集「盗まれたリアル〜90年代演劇は語る」の中で、野田秀樹が「静かな演劇」という潮流を(というより、まさに平田オリザの作風を)痛烈に批判してこう語る…
人間的っていうのはダイナミズムだし、 「誰が静かなものを見たいか」って俺は思うけどね (中略) つまり、間をあけることがなぜいけないかという話になると、 結局リズムがないものは退屈だろうという… (野田秀樹「もう少し語り部を」…上記対談集より)
そこまで言うかー、という感じでピリピリ反応する野田サン。でも…、ここまで激しい言葉があふれてしまうということは、ある意味、平田サンのテーマとポジションが、野田サンの主義主張に対して、正しく痛い部分をついているということでもあるんじゃないかなあ。つまり上記引用に、まるで呼応するかのように、平田サンはこのエッセイのなかでこう述べている。
>人間的っていうのはダイナミズムだし、 「そんなに偉いのか、人間は」と思いますよ (平田オリザ「『リアル』だけが生き延びる」より)
>結局リズムがないものは退屈だろうという… 「私たちはこういうとき黙っちゃいますよね」ということ… それが非常に日本人のメンタリティに合っていたということ (同上)
かなりテキストを恣意的につきあわせたのでフェアーじゃないけれど、でもかなり互いの立場が鮮明になる比較ではあると思う。
やっぱり、それぞれの突き詰め方がハンパ無かったことが、大切なんじゃないだろうか。野田サンの初期の「夢の遊眠社」の言葉遊びのすさまじさと、平田サンが「青年団」のスタイルを確立していったころの静かな退屈さと、それぞれを躊躇なくしがらみを断ち切って突き詰められたからこそ、それぞれの名前がいまも残っている。ただ、野田サンはファンタジーを志向していたけれど、平田サンはリアルを志向した。
いまは少し違う。NODA MAPになってからの野田サンはファンタジーからリアルへと少しずつ重心を移している。またそれがとてつもなく高い2つの位置に張られたロープの上の綱渡りになっているからこそ、どかは「オイル」などを見てると本当に息を呑んでしまう。ただ。この路線に沿うならば、平田サンのスタイルに若干の利があるとどかは思う。
野田サンはあくまで銀幕のスクリーン。平田サンはプレパラートをのぞき込む顕微鏡。その差だもんね。もしくはこうも言える。野田サンの舞台に出てくるヒトは、どれもこれも、みんな野田サンっぽい。でも平田サンの舞台に出てくるヒトは、どれもこれも、みんなちがう。同質性と異質性。うん、ちがうね。
あと、蛇足だけれど、1962年生まれには劇作家と犯罪者が多いというくだりは、びっくりだった(びっくり)。な、なるほどー。
ともかく。
このブックレットは、平田サンの本を読んだこと無いヒトにはとくにお薦め、かなり読みやすい。あと、青年団の舞台に興味があるヒトにもお薦め。これを読んでから舞台を観てもいいし、舞台を観てからこれを読んでもいいし。青年団の舞台には、主宰自身が言うように「見方」がある。それは事実。でもそれはネガティブに聞こえるけれど、実はどんな劇団の舞台にも「見方」というのはあって、平田サンはそれを徹底的にオープンにして提示してくれているわけで。そしてそのある種の「技術」を少しずつ体得していけることこそ、その実感こそ、青年団の舞台を観続ける最大の悦びなんじゃないだろうかって、マジで思う、どかだったり。うん。そんな感じ。
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