un capodoglio d'avorio
朝は明日の試験勉強を少しやって、昼から、 京都の烏丸御池に向かう。
もちろん、女の子とスタバで待ち合わせをして、 美味しいチョコレートをもらって、 冬の京都の町を散歩しながら手を繋いで「温かいね」。 と言葉を交わし合うためなどでは決して無く、 ボスの講演会を聴くためね、あくまで。
ジョルジョ・モランディについての著作が刊行されたばかりで (吉田秀和賞を取ったんだって、すごい)、 その著作の内容に則った講演@某文化会館。 イタリア語のクラスを受講しているのだろうなと思われる、 中年の上品な女性が客席に多数、ときおり、学生風の若い人。
去年の関西学院大学で参加した学会のときは、 立て板に水で、ダーッと猛スピードで論旨を述べるというイメージなボス。 でも、今回は、けっこうゆったりゆっくり。 ときに、詰まったり、間を取りながら。 最初、あれ? と思ったけど、でも客席が違うもんな。 美術史の研究者相手と違って当たり前だ。 ユーモアも交えながら上手に聴衆との距離をコントロール。 上手いなあ。
言葉は、努めて平易に分かりやすくしてたけど、 内容はけっこう難度高かった気が。 フォルマリスム批評やモダニズムの言説などが下敷きになっていて、 その前提の説明に心を砕いていたボスだけれど、 みんな、普通に理解しているのかしらん。 ってか、どかは普通に刺激的でおもしろいと思ったのだけれど、 そのレベル…って。
スライドの取捨もさすがに洗練されていて、 しかもいま、どかが読み終えようとしている著作に載っとった講演だから、 記憶も新鮮なまま、すごい興味深く聴くことができた。 「マッチョなモダニズム」に対する、 「ささやかなモダニズム」という概念には共感せざるを得ない。 ボスの一貫した姿勢には、どかに一番欠けている「開示性」があり、 いろんな話を聴いたり本を読むにつけ、どかは落ち込んでいたりする。 でも、だからがんばらなくちゃとも思えるので…がんばろう (なんだそりゃ)。
ちなみに、ゼミの先輩のSサンが、来日中のM先生に対して、 日本語でなされたボスの講演をイタリア語に同時通訳していて、 度肝を抜かれた。 あ、あれって、もすこししたら、どかの役目?
ありえないから、そんなの! だって英語でも大変なのにい。
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