un capodoglio d'avorio
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2003年12月05日(金) つかこうへいダブルス2003「飛龍伝」<青山劇場2>

(続き)


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ふう・・・。筧利夫は、既にヒトの領域を超えていた。どかはかなり極大に等しい期待値を持っていたのにもかかわらず、それを軽々超えてきた。齢40を超えた人間が、あそこまで、動けるものなのか。あそこまで、テンションをキープできるのか。

結局ライヴのエンターテイメントにおいて重要なのは、観客との距離の取り方である。つかこうへいが普段から良く言う「役作りなんてするな、相手の目ぇ見て腹から声だしてればいいんだよ」というテーゼとは、下手な役者にとってこの観客との距離を動かす唯一の方法とは、予断無く、死ぬ気で突っ走るしかないという意味である。この点においても、筧は舞台上で誰にも引けを取らない。これだけキャリアを重ねてきた主役なのに、若手のどんな役者よりもテンションが高く、しかもそれを持続させてしまう。さらに、あの炸裂するハイテンションをそのまま、例の底抜けの愛嬌に繋げてしまうのだ。普通、テンションのみで真面目一本槍で突っ走られると、引きずられる観客は途中で疲れてしまって手を離したくなるのだけれど、筧はそれを許さない。無限の愛嬌で、ぐいっと観客の首根っこを掴んだまま、コースレコードを更新するスピードを笑顔のまま持続するのだ。そして、後半の、あの、青白いオーラさえ見えるようなすさまじいまでの怒り、あのにらみつける目、あの背筋が凍るセリフの響き。筧のその感情の「怒髪天衝き」は、相手役の広末のみならず自分をも容赦なく傷つけていき、それに触れる観客すら傷つけていく。観客は、しっぽ巻いて逃げ出したいのだけれど、前半のテンション&愛嬌に引っ張られ続けたために、もう舞台上の筧と同じスピードに達してしまっている客席にあって、いまさらブレーキも効かず、ハンドルもきれない。ただ、涙を流してそこに立ちつくさなくては行けない。立ちつくして愛嬌に笑い続けた代償を、愛嬌の裏返しである狂気の爆発を身をもって受けなくてはならない。

そして、広末涼子、どかは「幕末」よりもずーっと良い気がした。賛否両論があるのは、分かる。多分、この彼女を批判する立場に立つヒトが拠り所にする、ポイントは2つだろう。つまり「彼女自身の演技の線が細いこと」と「全共闘委員長・神林美智子のイメージと異なる」だ。どかは前者については全面的に肯定する。しかし後者については、どかは否定したい。そのイメージとは、その鑑賞者のなかの勝手なイメージであり、つかこうへいはいままでの神林とは全く別の神林のイメージを広末に降ろしたのだ。そこにおいて「線が細い」と「神林美智子」の間に、矛盾は、無い。

なぜか。例えば2001年の「新・飛龍伝」において、つかは神林美智子役の内田有紀を孤高の女として作り上げようとした。その成否はともかくとして、全共闘40万を率いる委員長のイメージとしては支持を得られやすかったものだった。しかし、広末には、内田のようなスッとひとり立ちつくす強さは求められない。だから、つかは広末にその強さを強要する前に広末の別の強さをコアにできるよう、神林のイメージを変えてきたのだ。今回の広末は、とにかく「色っぽかった」。これまでの広末のパブリックイメージ「中性性」を捨てて「女性性」を前面に押し出してきた。ビックリ。でも確かに、この路線において広末はかなりの説得力を持っていた。ようするに、1994年の石田ひかり、2001年の内田有紀の神林は、自身の恋心をグッと押し殺してでも全共闘40万の命運を背負う人間(すでに女ではなく人間)だったのが、2003年の広末涼子の神林は、自分の全身全霊たたきこむ恋心の強さでもって「ついでに」40万の命運も背負ってしまう女(あくまで、女)だったのだと思う、逆説的だけど。あの革命の機運が揺るがす時代のスピードよりも、広末が山崎の胸に飛び込む加速度がより、強かった。

「目の前の男ひとり、精いっぱい想えないヤツが、
 どうして国のことを思うことができよう」

いや、これだって、広末にとって大変な演出だったと思う。彼女はでも、つかのこれでもかこれでもかと広末の内面をえぐる演出に良く耐えたと思う。ちゃんと、彼女の恋心には、ウソが無かったもん。この彼女の気持ちで、山崎ー神林ラインがしっかり成立し、神林ー桂木ラインも確立し、そしてもちろん山崎ー桂木ラインも・・・、と来るはずだったのだけれど。

ちょっと、春田サン、弱かったなあ。勝海舟役で燃え尽きたのかなあ。怪我してたみたいだったけど、でも、それにしても山崎・神林が出色の出来だったのに、かなり、トーンが弱かった。頑張ってるのは伝わるし、筧の華に対抗したがってるのも分かったんだけど、むー。ちょっと、残念。あと横浜国大委員長の武田サンも、この役は「飛龍」の中でもすごい良い役なんだけど、「幕末」の岩倉具視ほど良くなかった。弱い、埋もれちゃってる。また、その他、学生の闘士サンたちも、全体的に、弱いっ。頑張ってる、のになあ。というか、決して力量が無いわけじゃない。ないんだけど、普段彼らが出てる北区の舞台と比べて極端にセリフが少ないから、どうしてもその数少ない出番に力が入っちゃうのかなあ。それでも良かったのは、やはり早稲田大学委員長・小川岳男と、ねずみの小川智之くらいだろうか。どか期待の赤塚篤紀クンや岩崎雄一サン、武智健二サンですらも、弱く感じた。あまりに大きすぎる青山劇場のせいだろうか。

でもこのあたりが弱かっただけに、むしろ山崎ー神林ラインの華が際だって、エンディングとしてのまとまりある形になった、と言えないこともない。言えないこともないけど・・・。でも、筧利夫の神ッぷりも見ることが出来たし、広末も存外良かったし、贅沢というものかしら。これだけで充分、いままで見た芝居の中でもベストだと思えるし。


(と思っていたどかの、この些細な躊躇は、大阪にて木っ端微塵に砕かれる。8日後、どかは奇跡の証人となる。)


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