un capodoglio d'avorio
passatol'indicefuturo


2003年12月03日(水) 責任

(続き)


まず<ウィーブモード>について。
HRCのサイトでホンダ自身が注釈をつけているように、
これは二輪車に特有の<震動現象>のひとつで、
自転車ですら、起こりうる別段珍しくもない普通の現象である。
そして<ウィーブモード>に入ったとしても、普通は収束に向かうはずが、
大チャンの場合、それが発散に向かってしまいリカバー不能になってしまった。


・・・ふむ。
じゃあ、なんで大チャンの場合だけ、発散しちゃったのか?
<最終報告>では、これについては明確な回答がしめされていない。
収束に向かう場合もあるし、発散に向かうときもある・・・、っておい。
ということは、何か?
全てのGPライダーがあのコーナーで、
あのスピードで、あの角度で、
あの致命的なコースアウトをしたかも知れないのか?
違うでしょう?
実際には、大チャンだけが、あのスピードで、あの角度になってしまった。
その理由を調査するのが<委員会>の使命じゃないか。


また<メカニカル的>な問題について。
rsj.jp の報告書をそのまま引用すると、


  HRCにて事故車両の分解検証を行った後であったため、
  本委員会ではナットの緩みや部品組み付け上の問題などの
  事故車両に関する事故後の直接検証は行っていなく、
  分解された車両部品の確認のみを行った。

 (「2003年ロードレース世界選手権・第1戦日本グランプリにおける
   加藤大治郎選手事故調査結果報告」より)


って、これはもう、当時の状況を確認してないということでしょ。
どうして、アクシデントが起こった際の<現状維持>が出来なかったのか。
どうして、HRCはさっさとマシンを自分でばらしてしまったのか。
どうして、どうしてそのことが、
永遠にグレーな印象をはらすことが出来ない原因になると分からなかったのか。
・・・分かっていたのか?
と思われても、仕方が無いでしょう、違うかなあ?


<コースの安全性>については論を待たない。
「誰にも言われなかったもん、仕方ないジャン」って、ガキか?
世界最大の二輪メーカーだろ?
大・ファクトリー・ホンダだろ?


さらにどかが気になったのは、


  検証に関する基本方針を、
 「責任追求型」ではなく「原因究明型」の結論を導くこととし・・・

 (同上)


別に、犯人探しをして欲しかったわけじゃない。
起きてしまったことは起きてしまったこと。
別に、誰かに罰を科したからといって、時間が戻ることもない。
でもこの引用のように、敢えて最初に断っておいて、
それでこんな「ボク悪くないもん」な<報告書>出されても、
誰も、納得いくはずがない
(実際2ちゃんねるのスレでも圧倒的多数が、良心・義憤に従って批判)。
「原因究明」すら、されてないんだから。
「責任追及」して欲しくないから「原因究明」しませんでした、なのか?


どかの、論調は偏向していることは自覚してる。
でもね。
どかは、本当のことが知りたいだけ。
真実が知りたいだけだったのだ。
真実は、往々にして、残酷で冷淡なものだけれど、
で、どかは例えそんな辛くて冷たい報告書が出ても、
それを頑張って受け入れようと思っていたよ、
大チャンの熱い走りに懸けて、そう思っていたよ。
でも、実際の<最終報告>は、全然、別の意味で残酷で冷淡だった。


どかは<大チャンのミス>なら<ミス>でいいと思っていた。
加藤大治郎だって、天才とは言え、人間だもん。
それが真実なら、それを受け止めなくちゃいけない。
でも<委員会>は「ホンダは悪くないよ」としか言わないまま、
ついに、解散してしまった。
じゃあ・・・、大チャンの死は、いったい、
どうやって未来に繋げていけばいいのか?
大チャンの恐怖は、いったい、どこに行ってしまうのか。
大チャンのファンや、何よりご遺族の方は、
どこに悲しみの落としどころを見つけていけばいいのか。


事故のあと、これまでに、ホンダの周りにはきな臭い噂が噴出している。
例えば2ちゃんねるの書き込みのほとんどがデマだとどかは思うけれど、
でも、清成選手のマシンテストの中断や、宇川選手の引退時の様子は、
うがった見方をされても仕方ない状況であると、思う。
客観的に観て、どかも、そう思う。
そしてホンダはそんな「いわれのない邪推」を打ち消す最後のチャンスを、
自らみすみす逃したのだ。


どかは、もう、ホンダは切る。
「世界のホンダ」と言いつつ、
結局極めて「日本的」なやり方で<責任>をはぐらかして、
ファンや大チャンの遺族、そして大チャン自身へ、
残酷な仕打ちでもって返礼するというホンダという企業を、
許すわけには、いかない。


「いかない」と言って、でもじゃあ大チャンはどうなるの?
こんなにやりきれないことは、無い。


人間の「死」になんて、どんな意味も無い。
したり顔で死を美化して飾り立てる後付けの論理は、
死者への冒涜にすらあたるかもしれないのだから。
<報告書>では大チャンの天才をことさら賛美するくだりがあるが、
そんなことは、彼らの任ではないことは、誰の目にも明らかであろう。
彼らに期待されたのは、そんなハンパな「情」ではない。
大企業の金と恫喝にも屈しない、
ギリギリに研ぎ澄ました「知性」と「勇気」だったはずだ。


人間が「死」から辛うじて引き出すことができるものは、
未来への「教訓」のみである、それ以外にない。
でも、大チャンの「死」から引き出せた「教訓」は、
ほんのごく、わずかでしか無かった。
これじゃあ・・・。


犬死にじゃないか。


<サイト内リンク>

4/7 Rd.1 JAPAN/Suzuka(加藤大治郎選手について)
5/1 追悼・加藤大治郎
5/2 追悼・加藤大治郎(続き)
5/18 大チャンお別れ会@Honda青山ビル


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