un capodoglio d'avorio
passatol'indicefuturo


2003年11月06日(木) キルビル(映画)

祝・六本木ヒルズ上陸、これでどかもロッポンジン。
というわけで「日本で一番新しい街」の映画館にて、
クエンティン・タランティーノを観に行く。
先日、本当に遅ればせながらパルプフィクションに衝撃を受けて、
ラブラブQT状態などか、しかも主演がユマ・サーマンだし♪

ストーリーは、やっぱり、あってないような感じ。
ってかストーリーで魅せる監督じゃないし。
とにかく、ホントにとにかく、
あのラスト30分の怒濤の殺陣をやりたかっただけなんだろなー。
あれをやりたかったがために、
脚本を書き、キャストを揃え、ロケ地をおさえ、スポンサーをおさえ、
いろいろめんどくさいことを我慢しながらこなしたんだろなー。
そう思うと、タランティーノ、ほんっとにかあいいと思う。
日本のヤクザ映画や任侠モノが好きで好きで仕方なくて、
それでブロンドのきれいな女優が「極妻」に斬りかかっていく刹那、
日本庭園に降り注ぐ、雪の結晶。
この映画は、言うたれば、それだけだった。

映画評論家とかがいろいろ深読みしようと思ったらできるのだろうけれど、
どかは、結局、そんな深読みポイントのほとんどは的はずれで、
あの血しぶきピューの首チョンパだけがタランティーノの狙いだと思う。
そして、だからといって、この映画は失敗作かと言えば、逆である。
面白い、傑作だ、最高に楽しい。
映画は重厚であればいいというわけではない。
面白ければ、いいのだ。
薄っぺらくても面白いモノは作れる。
このことを発見しただけでタランティーノは映画史に残るのでしょう。

全てのシーンに渡ってジャンクな味わい。
あえてこの仕上げの粗いジャンクな薄っぺらさを出して、
で、これがわざとだろうなーって分かるから、
こちらも「ネタ」として笑うことが出来る。
これが、重厚な「大作」を作ろうとしたんだけど、
才能の欠如によりうすーくなってたりすると、
「ネタ」にもならないから笑えない。
タランティーノはわざとジャンクに作ってる。
キーワードは「これみよがし」。
音楽も映像も台詞も、雪崩式にどわーっと合わさってたたみかけな風は、
おいおい、そこまでするのん?と恥ずかしくて俯いてしまいそうなほど。
でも、これは「ネタ」なのだ。
なぜなら、音楽のひとつ一つ、映像のひとこまヒトコマ、
セリフのひとこと一言はそれだけ取り出すと非の打ち所ないくらい、
研ぎ澄まされたセンスで磨き上げられてピカピカなんだもん。
それを、あるタイムラインに沿って並べたときに、ジャンクになる。
贅沢な素材を「これみよがし」に無骨に並べてくから私たちは笑う。

紙一重なんだけどなあ、でも<キッチュ>という美意識は、
100発撃つと、1発、とんでもない唯一無二のターゲットを射止める。
それは他の主だった美意識が、100発撃って全て的板を捉えたとしても、
最後までその針の穴ほどのターゲットにはたどりつかない、
優等生くんには死ぬまでわからないような「秘孔」。
でも、落ちこぼれのオタクくんには、見えるんだな、それが。
どかはタランティーノの才能とは、この99発の無駄ダマの遊び方だと思う。
最後の1発に絶対の自信があるから、余裕を持って99発を捨てられる。
その小粋な在り方に、観客は魅せられる
(ちなみに宮藤官九郎は90発くらいまでは遊べるようになった、すごい)。

ユマ・サーマン、殺陣頑張ってたなあ。
カメラワークもあるんだろうけれど、
斬る瞬間にちゃんと腰が入ってたし、
手だけじゃないからシックリくる。
ルーシー・リューとの最後のバトル、
セリフのいちいちが痺れる、クーッ・・・
クサいけど、カッコイイー。

あと栗山千明、しびれた。
あの高校のブレザーに身を包みつつ、
鎖分銅で攻撃する姿は、まさに、キッチュそのもの。
笑えるけど、でもこの娘、めちゃくちゃ美人なのね。
顔、キレイすぎ、すっごいキレイ。
ビックリしたなー、日本人でもこんなキレイな娘、いるんだなあ。
かっこいい、ちゃんとタランティーノのゲスな魅力をまとってた。
どかのなかのアイドルランクで三役に入っちゃうかも。

ルーシー・リューの「ヤッチマイナ!」も笑って痺れた。
白い着物に身を包んで、雪景色の日本庭園に立つ姿は美しい。


  とびきりのイイオンナを揃えて、
  とびきり激しい殺陣をやって、
  とびきり見栄を切るセリフを入れて、
  とびきりカッコいいシーンばかり。
  カッコよさだけを、追求して、それ以外は全て諦めて。
  ん?
  「それ以外」のなかに何か大切なもの、あったかい?

  ううん、無いでしゅ・・・


私たちは、いろいろ捨てなくちゃなものを捨てきれてないのかも知れない。


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