un capodoglio d'avorio
2003年11月05日(水) |
マルチカ3.9「アナニヨル」 |
11/3、ソワレ観劇@駒場小空間。 「チケットあるんですけど」とNチャンからのお誘い、 小雨煙る東大駒場キャンパス、ゴアテックスに身を包んで歩く。
マルチカ3.9というのは東大の学生劇団のOBOGが中心となって、 旗揚げしたグループらしい、今回が第2回公演、初々しいなあ。 駒場小空間と呼ばれるキャンパス内の多目的ホールが会場。 着いてまず、施設の充実度に目を見張る。 さすが国立大学、小さいハコだけど豪奢な造り、 灯体などの照明設備の充実にびっくりするどか。
舞台は、360度ぐるりと客席が取り囲む全方位式。 しかも客席自体を、2メートルほどガッコンと持ち上げることで、 井戸をのぞき込むように舞台を見下ろすような形態。 お金、かけるんだなあ、すごい。 床には無数の楕円形の穴が空いていて・・・。
ストーリーは、工業団地みたいな、閉ざされた施設が舞台、 そこに新たに引っ越してくる女の子ひとり。 新しい参入者の登場によって、もともとそこに暮らしていたヒトタチの、 しがらみや、ねたみや、うとみや、そんな沈められていたものが、 ボヤーっと浮かび上がってきて次第にその化学反応は苛烈を極め。 という、割とありがちなストーリーかと、どかには思われ。
役者サン、ちょっと拙いなあ。 どかはそんな学生劇団を数多く観てきたわけではないけれど、 どかのかつて知ってるところと比べても、ちと、辛いかと。 ましてや大学を卒業してそれでも役者を志していらっしゃる劇団にしては。 いちいちが段取りに聞こえてしまい、 頭で正解と思いこんでいるステロタイプな感情表現の引き出しを、 そのつど開け閉めしているように見える瞬間、多数。 もっと俗に言うと、青年団風の緻密な方向性も、 つか、その他小劇場風なスピード&パッションな方向性も見えず、 どかは演出がどこを目指しているのか、判然としなかった。 テーマ的に宙ぶらりんなところは、責めを負うべきではないけれど、 こんな感じにメタ的に宙ぶらりんな感じを観客に与えてしまっては。 少なくともワタシは、感情移入できるキャラクターを見いだせなかったし、 引いて観てみたところで、場面場面の感情や関係性のリアリティも、 見つけられなかった、演出のアラに遮られて。 多分、管理人サン役の男性の役者サンが一番、 上手いヒトなのだろうけれど、でも、演技が説明臭くてちょっと。 それはきっと、演出の責任が大きい気がする。
良かったのは、照明と、舞台美術(客席の構造)、そして衣装かな。 特に衣装は、へえーって思った、意匠のいちいちにも暗示が感じられて、 そういうところは、ニクイなあと思いつつ、楽しめた。 高い客席から舞台をのぞき込むような形態も、 シャーレの中で起きる化学変化を顕微鏡で観察するかのような印象で、 面白かった(願わくばもすこし面白い化学変化だったら・・・)。 そして照明。 ハイライトのシーンで、それまでの照明をスゥッと落として、 そのかわり床に開けた無数の穴から光がバーッと上方に漏れてくるのね。 あのシーンは、さすがに息をのんだ。 きっと、このヒトタチは、あのシーンをやりたかったがために、 舞台美術から脚本から全て、コーディネイトしてきたんだろうなあ。 そう思わせるくらい、あのワンシーンの印象は、深く刻まれる。 顕微鏡をのぞき込んでいたら、突然、 そこにオーロラのブレークアップが始まったかのような。
ただ、その「ブレークアップ」を支えるだけの基盤が、 まだまだ脆弱にすぎるとどかは思った。 「シャーレで起きる微細な化学反応の、そのリアリティ」という路線で行くなら、 もっともっと、ディテールを磨かなかくちゃ。 ステロタイプな感情表現と、ステロタイプな人間関係の説明という演技を、 辞めなくちゃいけないとどかは思うの。
・・・にしても、あの床から漏れる光の筋、浮かび上がるひとりの人影。 美しかったなあ、うん、きれいだったー。 それだけでも行って良かったと、どかは思ったことだったよ。
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