un capodoglio d'avorio
passatol'indicefuturo


2003年10月15日(水) Syrup 16g "パープルムカデ"

何とこれがシロップの初シングル。
4曲入りで、曲目は以下の通り。

1.パープルムカデ
2.(I'm not) by you
3.回送
4.根ぐされ

一番最初にダーッと流して聴いたときは、
実はかなり違和感があった。
前作の"HELL-SEE"と比べると、
1曲目のパープルムカデは明らかにある種の
「ポップさ」をそぎ落としてきたからだ。
メロディは解体されつつあり、
変拍子を繰り返すことで流れは淀み、
そして歌詞は以前にも増したネガティブ度合い。


  不協和音と君がいて
  銃声は空から舞い降りた
  付け足さないで そのままで
  ただの名もなき風になれ
  (Syrup16g ♪"パープルムカデ"より)


自分の力の及ばない大きな絶望に対して、
抵抗するのでもなく嘆くのでもなく、
ただ、それにまみれて朽ちていく自分が
微生物に解体されていく様を、
冷徹に描写するかのような視点である。
できればそこで発狂して弾けてしまいたいのだけど、
そこまで弾けてしまうことができない自分。
なにが一番むかつくかって、
発狂してしまいたいなと思っているその気持ち自体、
既に救いようもないほど正気のまま腐っているという事実。

これまでのシロップはその重さを、
美しいメロディラインやスピードでかろうじて支えて、
たぐいまれなる比例を見せたバランスだった。
しかしここで、そのバランスすら外してしまった。
これでは「表現」としての成立条件すら満たせないのでは。
と、どかは不安に思いつつ、でも部屋ではいつも聴き続けた。

・・・すると驚くべきことに、
いつの間にかこのいびつでただ重たい曲が、
どかの輪郭にピターッと沿うように響いてきたの。
ビックリ、いいじゃん、これ。

結局、最初にシロップに対して受けつけられない。
って一瞬思ったのは、それでも当然の反応だったのかも。
やっぱりさ、街を歩いていて耳に入ってくる、
いろんな「じぇいぽっぷ」とかと比べると、
真逆なんだもん、向いてる方向が。
もはや軸がズレているというレベルではなく、
180度、反対だよね。
ヒトはそんなに本来そんなに辛抱強くできてないから、
分かりにくかったり理解できなかったりすると、
それを最初から無かったことにしてしまう。
そういうようにヒトは、作られている。

どかは最初からスッと共感できるモノとか、
やっぱり空しいなーって思ってしまう。
いつからだろう、でも、やっぱりそう。
誤解を恐れずに言うと、
オーロラはマイナス30度の中でこそ、
崩壊現象を見せるのだ。
モナリザはあの表情ではなく背景の分析からこそ、
美が発生するのだ。

どかはSyrup16gという、
腐敗しつつある自らを見つめ続ける眼差しを、
思って切なくなる。
その眼差しの前に展開する情景のなかに、
ホタル一匹の明かりすらなくとも、
その眼差しが閉じないあいだは、
その目の奥に微かな光が宿っているという事実。
ヒトはヒトとして輝くことがきっと可能なのであり、
何かの反射によってのみ輝けるわけではにのだということ。
ヒトはヒトとして恒星なのであり惑星では、
きっとない、ということ。

だからヒトは他者へ向かって表現を開いていくとき、
決して100パーセントの絶望は描けない。
Syrup16gは、99パーセントの絶望を描いてなお、
残りの1パーセントをさらに微分しようと試みる理性である。
その試みを辞めたら楽になれると分かっているけど、
忘却と妥協ではない、蛍光灯や水銀灯の色ではない、
本当の光を一度で良いから見てみたいから、
ウソの光を全てウソであることを確認し続ける。
そうして自らにもウソが感染し、
腐敗が始まる、始まってなお、
眼差しはそこに、ある。

割と2〜4曲目はいままでの彼らの
コンテクストに載っかってくる作品だけど、
1曲目は違ったんだよね、さらに深化してきた。
自らの不毛をこれまでのようにダーッと押し流すのではなく、
音色とリズムと声の、全てでいちいち粒を洗いだして、
不毛さを積み上げていく、冷酷な「写経」の響きだ。
ちょっと方向転換するだけで、
マジで ACIDMAN並みに大ブレークすると思うのだけれど、
どかには敢えてそのカードをめくらないでいるとしか思えない。

でも、だからどかは、このバンドが好きだ。
愛しいし、ぎぅぅと抱きしめたくなる。


どか |mailhomepage

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