un capodoglio d'avorio
2003年10月03日(金) |
特別公開 国宝 松林図屏風 @東京国立博物館 |
同じく10/1の美術館ハシゴツアーの続き、オーラスの東博。 この日、ここでは「アレクサンドロス大王と東西文明の交流展」が、 大々的に特別展として開催されていたのだけれど、 どか的に、まったく興味が無く、まよわず常設展のみのチケを買う (なんと、常設展のみだとチケット\130-!お得だわ、奥さんっ)。
しかしきょうの常設展は、ただの常設展ではない。 あの長谷川等伯の<松林図屏風>が3年ぶりに展示されるのだもの! じつは、どか的にきょうのハイライトは、オランダの光と影でも、 スペインの愛と喪失でもなく、この日本の茫漠たる空間の表現だった。
<松林図屏風>とは良く言われる通り、日本美術史上、最高の水墨画である。 やまと絵となると永徳や宗達、光琳などの作品となるのだろうし、 版画となると春信、歌麿、北斎などになるのだろう。 けれど、水墨画であれば、雪舟などよりも断然、 等伯のこの作品に軍配が上がるのではないか。 中国から輸入したこのスタイルが、本場の質をついに凌駕しえた美しい結晶。 東博へ寄せられる展示リクエストでもダントツの首位だったというのも、 まったく頷ける話と言うものだ。
それは本館2階の第17室であった。 ゆったりしたスペースのあるその部屋には、 この屏風のみが展示されていた。 照明は、おそらく保存の関係からであろう、かなり落とされていて薄暗く、 けれども、作品を鑑賞するには十分な明るさである。 展示ケースの反対側の壁にベンチがいくつか設置されていて、 どかはそこに腰をおろして小一時間くらい、ポヤーっとしてた気がする。 去年、智積院で観た、同じ等伯の楓図を思い出したりしながら。
等伯は牧谿の大陸渡来の筆法と、 やまと絵伝統のモチーフを響き合わせて、 比類無い空間を生み出した。 空間、空間なのか、これは? 何も描かれていないように見える空白を観て、 そこに顕れては消える形は、 あるいは心の中から出てきた想念なのだろうか?
徹底的に、眼と胸を開いて、自分の輪郭を溶かしていく時間。 久しぶりだなー、こんなのは。 ロンドンナショナルギャラリーのセインズベリーウィングの、 レオナルドのカルトンが展示されている小部屋みたいだ。 あの、全宇宙が裏返しに集約された「驚異のスペース」。 同じだけの凝集力が、ここに再現されている。
・・・、あと、 これについて語る言葉を、 どかは持たない。
だから、他の感想を。
他にも、東博の常設展はとても質が高く、全く楽しめた。 ちょっと前の東博は「おたかくとまって」、 冷たく突き放した展示が多かったけれど、 独立採算の刃を突きつけられてようやく、目覚めたみたい、 良いことだ、全く良いことだと思う。 縄文の火焔土器や百済観音のレプリカも、 鳥肌が立つくらいかっこよかったし、 曼陀羅もいくつか良いのがあった。 広重の浮世絵も、久々に観るとグッとくるものがあった (余談だけど、浮世絵嫌いのどかだけれど、 最近見直していいなーと思う例外がいる :春信と広重だ、あとはやっぱり苦手)。 高村光雲の「老猿」も圧倒された、すごいなあ。
もう一度、行かなくちゃだと思った。 西美でも上野の森でもそうは思わなかったけど、 この百三十円のチケットで観た展示は、そう思わせる。 10/7からは抱一の<夏秋草図屏風>が出る。 10/31からは特別展で「大徳寺聚光院の襖絵」をやる(永徳だ!)。 <松林図屏風>は11/3までの展示。 やはり・・・行かなくちゃだわ。
というか、専門ではない日本美術になると、トタンにミーハー爆発な私。 ちょびっと、恥ずかしかったり。 テヘ。
↑噴水の向こうに見える、東京国立博物館本館。
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