un capodoglio d'avorio
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2003年10月02日(木) ピカソ・クラシック@上野の森美術館

昨日(10/1)の続き、2番目に足を向けたのは「上野の森」のピカソ。
ここって、ホント、ピカソばっかしなのね。
そして、いつ訪れても、西美よりここのが動員しているのが、
ちょっと悔しい、ってか、寂しい。

ピカソの青年期の「青の時代」「バラ色の時代」に続く、
「キュビズム」と並行して起こった「古典時代」の作品中心の展示。
まあ、ピカソの創作の全容を継時的に観ていくと、
鑑賞者の頭はパンクしちゃうから、
時期やスタイルを限定して展示するのが当然というか、何というか。

どかってば、ピカソの「古典時代」は好きだった・・・、
と思ったんだけどなー、なんか、あんまし、イマイチだったなあ。
こんなだったっけ?
イマイチ、どれもこれも、パッとしなかった。
というより先に見た<聖ペテロ>の印象が強すぎるのかも知れない。
美術展なんて、ほんとはハシゴしたら良くないのだから、
どかの責任かも知れないけれど・・・。
ごめんなさい、はっきり言って、面白くなかった。

それでも幾つか印象に残ったのは、
新作バレエの意匠案としてピカソが残したデッサンだった。
衣装とか緞帳の図案とか、ね。
ピカソの「線」はやっぱり特別だよねと思う。
まるで子どもの落書きの線みたいに、確信と純粋に溢れてる。

創作なんて結局は試行錯誤のフロンティアの余韻なのであり、
そこにわずか成りとも「錯誤」の香りがしない作品は、
通俗的でストックフレーズにまみれた駄作、
リアリティのカケラも感じられない。
という言い方が、仮に可能だとして、
唯一の例外として認めざるを得ないのがピカソのデッサンかも知れない
(シーレのデッサンにすら、かすかに「錯誤」がある、それが良い)。
まったくの「素」のままに、躊躇無く、憂い無く、
ダーッと書きなぐられた線がここに残っている。
それは誰しもが幼年時代に画用紙を前にして残した「傑作」である。
いや、私たちのかつてのその作品は「傑作」ではないのかもしれない。
ものごころついて、分別もあって、大人になって、
それでなお、その「線」を引けたとき、初めてその作品は「傑作」になるのか。

もひとつ、印象に残ったのは対照的に参考として展示された、
同時期の「キュビズム」の作品。
うん、こっちのが全然面白いよ。
つまり、学芸員の狙いとはまったく外れたところで、
かろうじてどかは引っかかったのかも知れない。

なんて埒のあかないことをむにゃむにゃと考えつつ、
やっぱり、人混みにまみれてなお、見たい展示だとは思えないどかだった。
平日の空いている時間帯、かつ学生料金で入れるのならば、
かろうじて、行ってもいいかな、くらい。

決してピカソを否定しているのではなく、
この展示品のリストを、どかは疑問視する。

ってか・・・、キュビズムのピカソにならば、
だーって溺れてみたい心境なの、いまのどかは。



↑10/1は本当に天気が良かったの、気持ちよかったなあ。


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