un capodoglio d'avorio
2003年09月21日(日) |
つか「熱海殺人事件 平壌から来た女刑事」(Ver.小川岳男)1 |
キャスティング(Ver.小川岳男)
木村伝兵衛部長刑事:小川岳男 熊田留吉刑事 :北田理道 水野朋子婦人警官 :鶴水瑠衣 容疑者大山金太郎 :友部康志 半蔵 :嶋祐一郎
どかは小川岳男という役者の才能・力量を最大限に評価した上で、 このヒトは、大山金太郎という役がベストであり、伝兵衛は本懐ではない。 と、きょうこの日まで思っていた。 伝兵衛に求められる資質は、数多いけれど、 包容力、狂気、テンションなどと共に、男の色気がどうしても不可欠だ、 下司の、色悪の、でも匂い立つような色気が。 北区で伝兵衛をやらしてベストなのは、そう言う意味で、赤塚クンなのであり、 岳男サンの朴訥な、あまりに度が過ぎて狂気に繋がるほどの誠実さというのは、 大山金太郎という役どころでこそ、最大限に生きるのだ、と。
例のチャイコフスキーのイントロが流れだし、客電が落ち、 緞帳が上がって、10秒、どかは自分の不明を深く恥じて岳男サンに謝った。
ごめんなさい、あなたこそが伝兵衛でした・・・
ハーレーダビッドソンのような弩級迫力のエンジンが最初から、 本当に何の予断もなくレッドゾーンに飛び込んで来る! そこには言いしれぬ色気があった。 赤塚クン流の下司的な色気ではない、別の迫力あるフェロモンが確かにあって、 そして、それは確かに、つかこうへいの金看板「熱海」の主人公、 まごうことなき木村伝兵衛その人だったのだ。 ただ、ただ固唾を飲んで引き込まれていくどか。 そしてこの開始10秒のレッドゾーンに飛び込んだ主役の空前の咆哮が、 2時間ものあいだ、中だるみもせず続くということを、 そんな奇跡を、あなたは信じられるだろうか?
誤解を恐れずに言うと、声量こそが全てである。 きょうの伝兵衛は誰よりも声がデカかった、マイク無しだということが、 にわかに信じられないくらいの声量である。 そして伝兵衛がセリフを語るときの集中力、 熊田を罵倒するにせよ、水野に懇願するにせよ、 いっさいぶれることなく真っ直ぐ注がれる眼差しの強さだ。 または客席に向かって話すときにこちらに向けられる眼差しの怖さだ。 声量と眼差しで、その圧倒的な集中力でもって、 つかこうへいが幾たびの上演・改訂を超えて磨きつくしたセリフと、 そこにこめられたメッセージを届けようとする。 その瞬間、伝兵衛の身体の芯は全くぶれない。 胸を張って肩もいからず腰が入ってもっとも自然で、 だからいちばん力の込められる体勢でセンターに屹立する定点となる。 観客は、その声量と眼差しに叩きのめされ、セリフのメッセージに心動かされ、 そして同時に、その定点が定点としてあることに平衡を感じ、 持てる感性全てを舞台上に安心してゆだねていける。
また、舞台上で定点としてスッと立つことができるということは、 他の役者のセリフを、メッセージと痛みを受けることができるということだ。 熱海名物の浜辺のシーンで、伝兵衛は舞台上手奥に立って、 水野と大山の2人芝居をまんじりともせず見続ける、伝兵衛のセリフはない。 しかし、このとき、水野演ずるアイ子と大山の愚かさと切なさを、 しっかりと受け止めてやる存在が、どうしても必要なのだ。 何のために? この悲惨極まるプロットを、ハッピーエンドに持っていくためにだ。 伝兵衛のみが、この舞台を覆い尽くすそれぞれの悲しみを、 自らの悲しみも含めてすべてを背負い込んでいかなくてはならないからだ。 そのとき、取りこぼしがあってはならない。 わずかな取りこぼしでも、それは終演後の観客の心に、 澱のように残ってしまい暗い影をもたらしてしまうからだ。 小川岳男という役者について、そのパワーと独特の哀感という、 「アウトプット」のみで評価する向きが強い気がするけれど、 それはこの北区が誇るエースの片面でしかない。 岳男サンは包容力という一番主役に必要とされるものを、誰よりも大事に、 大切にするという優しい強さがあってはじめてエースでいるのだ。
(続く)
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