un capodoglio d'avorio
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2003年08月02日(土) 岡崎京子「うたかたの日々」

ボリス・ヴィアンの「うたかたの日々」を漫画化したもの。
「CUTiE」で1994年から1年間連載されていた作品で、
岡崎ファンの間では「ヘルタースケルター」と並び称されてきた、
幻の作品である。

痛いっす、これは。
読み終わって、ダウナー入る度合いは、
あの衝撃の「ヘルタースケルター」をはるかにしのぐ。
もう、落ち込みまくり、落ち込みまくりにはつおいはずのどかも、
ちょっと、キツイなーと思うくらいの、落ち込みまくり。

・・・でもこれは、岡崎作品史上、もっとも痛いけど、もっとも美しい。

愛し愛されて生きていきたいのに上手くいかない。
それを内省的に描いたら、ただのつまらない自然主義、
私小説的になって、そのコネクションの強さは薄まってしまう。
ヴィアンが、そして岡崎京子が、ひたすら強いなーと思うのは、
この恋愛の「不能性」を、ココロの内面から追い出して、
白日の下にさらけだしていくスーパークール、そうスーパーだ。

つまり、彼と彼女が幸せになれないのは、
廊下に差し込む太陽の光に翳りが差してきたからなのだ。
例えそこに「愛」があっても、世界は腐蝕していくこと。

コランが愛するニコラと初めてデートをするシーン。


  コランの発した情熱の水蒸気が小さなバラ色の雲になり
  彼らをすっぽりつつんだ。
  中に入ると熱くシナモンシュガーの味がしていた。
  (岡崎京子「うたかたの日々」より)


そうして岡崎京子は、じっさいに外から中は見えない雲を描いて、
通りを歩く彼らは雲の下からのぞく足が見えているだけという作画をする。
あまりにマンガ的な、しかし何というリアリティだろう
(大体において、恋愛の実際もマンガチックだからだろーな)。
そして、この後、コランとニコラの結婚式において、
世界の幸せは頂点に達し、頂点に達してしまったからなのか、
もう次の日からは「腐蝕」は始まっていく。
コランの召使い兼シェフのニコラは、それに気づく。


  光があまり入ってこないのだ。
  太陽が当たっている床は、もう以前のように均一に光ってはいなかった。
  ハツカネズミが手で艶のとれたタイルをこすっていた。
  そこだけがピカピカと光を反射していた。(同上)


あくまでも、コランとクロエの内面で、恋愛が、精神が、
負けていくという風には、岡崎京子もヴィアンも描かない。
しかし、それでも包囲網はだんだんせばまっていく。
文字通り「せばまっていく」描写なのだ。
部屋は小さくなり、廊下は細くなり、天井は低くなってくる。
そして、クロエは発病する、睡蓮が肺に寄生する病気だ。


  もう食堂には入れなかった。
  天井と床は一部ほとんどくっついてしまった。
  半分植物性、半分鉱物性のものがたくさん、
  湿った暗闇の中で発達してきたからだ。(同上)


そう、恋愛が追いつめられるときも、とてもマンガチックだ。
実際に部屋でひとりへたり込んでいると、
壁は倒れてくるし天井は落ちてくる、床はくすんでくるよね。
そうして、コランが持っていた街一番の財産はもう底をつき、
彼は不慣れな仕事を、誰よりもぶざまに始めなければならない。
クロエは片方の肺を切除し、もう一方へ睡蓮が転移しているのが明らかになり、
そして、ゆっくり、死んでいく。
教会にクロエの葬式を頼みに行ったコランだが、
司祭の要求するわずかな費用も払えない。


  人足は棺を窓から廊下に投げ出した。
  500Dからの葬式でないと手で運んでくれないのだ。
  しかし彼女はもう何も感じないのだ。
  コランはそう思いもっと泣いた。(同上)


・・・まだ、この後、残酷な描写がもう少し続く。
とにかく、大切なことは、お金が無くなったから、
コランとクロエは幸せになれなかった、ということではないことだ。
それはたくさんある要素のひとつでしかない。
腐蝕性の空気、あの結婚式の翌朝から発動しはじめた、
あの空気のせいである。
その描写は徹底的に精神ではなく形象に肉迫し、
そのことが、いま、これほどに新鮮でかつ、
「逆説的に」リアリティを獲得している。

そして2人は死の間際まで、
お互いがお互いを愛し愛そうと誠心誠意努めていた。


何が悲しいと言って、もっとも、一番悲しいことは、
2人の愛がついに投降しなかったことが、悲しいし、痛い。
あまりに、痛い。


痛すぎる。


そうなのだ。


「愛」がついに、投降しなかった、降服しなかったことが、痛いのだ。
ぼろぼろに打ちのめされても、めった打ちに打ちのめされても、
そして、ついに負けを刻印されてもなお、
2人が投降しなかったこと、それを許されなかったことが、
これほどまでに読者に痛みを強要するのだ。

(続く)


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