un capodoglio d'avorio
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2003年07月20日(日) ラヴァーズ・キス(映画)ー大丈夫?ー

(まだ、続き)

返す前に、もいちど、観る。

・・・んん、良質の少女マンガのエッセンスとは、
やはりいいもんだなあと、ココロから思う。
しっかりと基本や伝統みたいなものをおさえつつも、
作者がちゃんと自分の試行錯誤や悩みなんかを添えているから、
陳腐に堕さない、ピッとしてるよ、ピッと。


藤井  嫌いなんじゃなかったのか、夜の海

里伽子 嫌いだよ、夜の海
    怖くて・・・なのに目をそらせない
    そのまま、歩いていきたくなる

藤井  ・・・おれはそのまま、歩いていったこと、あるよ


藤井が成宮クンで里伽子が平山サンなわけで。
さいきん、全部、闇を全部打ち消すような方向で、
世の中全部ガーッと持って行かれつつあるような感じ。
でもちゃんと闇とかの存在を、
出来る範囲で自分のなかに収めてくことができれば、
きっと明かりも自分のなかに舞い込んでくるし、多分。

ラヴァーズ・キスでは、どかーんとラストに、
特大のカタルシスが待っているわけでは、ない。
少しはあるんだけど、でも、あの高校生の恋愛な感じ、
切ないキゥゥっとくる感じが、シンシンと額から浸みてくる感じ。
役者の数名(・・・2人かな)は確かに、ちょっと拙いなあと思うけれど、
でもスタッフも含めてなかなかの若くて勢いのある才能が集まっていて、
それでその才能が、この触れてしまったら壊れてしまう、
デリケートで微妙な「切なさ」の羽毛を、
鎌倉の箱庭的世界にフゥッと漂わせるためだけに力を注いでいる。
そういう、ぜいたくな、映画なんだと思う。

ノスタルジーとは、断じて認めたくない。
認めたくないけれど、観終わって、ツタヤに返しに行く道すがら、
自分の思い出がむくむく頭をもたげてくるのを、
防げずに、茫然としてしまう。

稲村ヶ崎の夕日を見つめるときも、極楽寺の紅葉を眺めるときも、
相手の目をのぞき込むときも、そしてキスの瞬間に目を閉じたときでさえも、
あおいたんを筆頭に、登場人物たちの目はまっすぐ、
澄んだ光でひとつの方向を照らしている。
かつて自分の目は、確かに、そんな感じだったと信じている。

でも、今は、どうかな、大丈夫だろうか。

まだ、大丈夫、かなあ?

・・・がんばらなくちゃ、うん、がんばらなくちゃなんだわ、やっぱり。
どかに自然にそう思わせて、これはやっぱりイイ映画である。

少女マンガのロマンティシズム爆発だろうとなんだろうと、
たまにはこんなのも、いいのさ、うんうん。


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