un capodoglio d'avorio
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2003年07月19日(土) ラヴァーズ・キス(映画)ー特別な瞳ー

(続き)

平山綾サンって、どか、嫌いじゃない。
ってか、好き、っていうか、かなり好き、なんだけど最近出過ぎかなあ。
いや、ドラマとかなら別に何も言わないけれど、
バラエティとか、あんま出過ぎると、つかサンがいつだか言ってたように、
無駄に華をちらしちゃって、良いこと無いよー、ホリプロだからか・・・

で、演技、結構良かった、思ってたより、良かった。
ちょっと薄っぺらいところが、役柄にちょうどよくハマって、
うん、良いかと思う。
おかお、美しいよね、キレイだよ、うん、キレイ。
でも、常盤貴子に似てる気がするなあ、ナニガって、演技が少し。
顔もそう言われてみれば、ちょっと面影が重なるし。
主役なんだからもっとこう、グッと来るものが・・・
とか最初思ったけど、でも逆にこの「複眼」的構成だと、
主役のこの娘がこのくらいのほうが、全体としてシックリ来る気が。
プロデューサーはそこまで考えてたのかしら、したら、すごい。
あおいたんとのマッチアップになると、ちょっと平山サンきついんだけどね。
さすがに映画への出演回数の差なのか、女優としての器の差なのか、
でも平山サンは悪くないと思うの、あおいたんがやっぱすごすぎる・・・

成宮寛貴クン、「高校教師」とは全然違うまっとうな不良クン。
いいなー、イメージだけど、吉田秋生サンは不良をかっこよく描くの、
上手そうなイメージで、今回の成宮クンってばずばりそんな感じ。
ちょっと影があって、身体張ってて、でも、目は澄んでいて。
どかが女の子だったら、やっぱりこういうタイプが好きなのかしら。
うん・・・、そうかも、かっこいい、じゃあ、お前、こういうタイプ目指せよ、
・・・いや、ボクにはむりでスゥ、なんでよ、だって、顔が・・・
と、思わず葛藤が始まっちゃいそうにカッコイイな。
でも野島伸司が描くようなああいうどぎついキャラクターを、
しっかりこなせるようになっていって欲しいなあ。
若さの煌めきじゃない、人間の凄みを得られないと、
いわゆるアイドルで終わっちゃうし・・・がんばれ、成宮クンっ。

そして、あおいたん・・・

もう、言葉もない・・・

はあ、何を言えばいいのだろう。
とりあえず今までで、一番カワイかった。
姉役の平山サンとのマッチアップでは圧倒的な存在感、
存在感って言葉、嫌いだけど、でも他に言葉が見つからない、凄み?
静かな、穏やかな、うるさくない、怖くない凄み・・・を感じる。
ああ、女優なんだなーこの人は、どうしようもなく。
と、どかは思ってしまうんだなー。

あおいたんの感情はすごい。
こう、顔の仕草やセリフのイントネーションこそが演技だ、
そう思ってる甘ったれた若手の役者とは、天と地の違いがある。
ハレー彗星とれれれのおじさんの手に持ってるのとは違うくらい、違う。
あおいたんはその感情を生きてる。
ふりや仕草ではなく、フレームからはみ出して、
そこにちゃんと、存在している。
そこでぐりぐり練られた感情が、その目を通して爆発する。

特別な瞳だ。
悲しい感情は普通の役者の10倍くらい悲しくなるし、
嬉しい感情は普通の役者の10倍くらい嬉しくなる。
それを、別に身振りを大きくしたり、声を大きくしたりしないで、
目、瞳だけでそれを周りに納得させてしまう。
伝達することはだれでもできても、納得させることはだれにもできない。
ああ、あなたはいま、悲しいのね・・・
と観客に思わせるのは簡単だけれども、
ああ、悲しい・・・
と観客を引き込むのは誰にでも出来ることではない。

「害虫」のころからすでに、この持って生まれた「瞳」は輝いていたけど、
あのころは、その「特別さ」に無自覚だったような気がする。
あおいたん、ここに来て、その「特別さ」を良く自覚し、
自在に使いこなすために、ある種の意識を研ぎ澄ましている気がした。
「害虫」、「パコダテ人」そして「ラヴァーズ・キス」と、
確実に、この娘、輝きが大きくなってきてる・・・。

ううー、らーぶーーっ。

・・・

あおいたんと、平山サンの姉妹は、劇中、仲が悪かった。
それは、妹が想ってる女性が好きなのが姉だから、
ということと、幼い頃からうまく意思疎通できなかったから。
けれども、姉を思ってる女性が失恋し、それで妹も失恋し、
そして姉も彼氏と離ればなれになってしまって失恋し、
そこではじめて、姉妹は並んで座って、調律のずれたピアノを弾く。

「また、ピアノ練習しなよ」とあおいたんが言って、
姉が好きなベートーベンのテンペストの楽譜を贈り物として手渡す。
それは最初の方のシーンで「いつか渡せる日がくるのかな」と言いつつ
楽譜屋サンであおいたんが買ったプレゼント、
ああ、姉に渡すために買ったんだねと、観客はここではじめて気づく。

「あんたに私の気持ちのなにがわかんのよっ」

とは前のシーン、別れなくちゃな事実にうちひしがれてるときの、
平山サンのセリフ・・・

「お前におれの気持ちの何がわかるんだ」

そう、答えはひとつしかない「何もわからない」。
他人のことなんて、ヒトは何にもわかんない。
このセリフは、ちゃんと心を込めて、まっとうに受け止めれば受け止めるほど、
自分と他人との間に横たわる、
圧倒的喜劇的海溝的に深く暗い溝の存在に気づかせる。
でも、この溝の存在に気づいてからが、ヒトが踏ん張るべき勝負が始まる。
溝の向こう側の人間の表情が暗くて見えない、
よーく目をこらしてみたら、ちょっと顔が上を向いてるのがわかる。
なんで上を向いてるのか分かんないけど、何かあるのかしら。
ふと自分も上を見上げると、水の向こう、波に乱されつつも、
切なく光る、月がある。
「ああ、なーんだ」と思って、相手を見ると、
相手もこちらを見て微笑んでいる。

他人に何かをしてあげられると思っている人間にはバチがあたる。
これは岡崎京子の名文句だ。
ここには同じ思想がある。
同じだけの深い暗い溝と、同じだけのかすかなわずかな明かりがある。
その明かりに背を向けて、深い溝をのぞき込む勇気。
明かりを背に感じつつ、暗い闇へ対峙する優しさ。

「ああ、なーんだ」。
あおいたんと平山サンは見つめ合ったあと、
その言葉の代わりに鍵盤を鳴らした。
ちょっとくらい調律が狂っていても、関係ない。
ちゃんと、2人とも、明かりを背中に感じているからだ。

はあ・・・いいもん、見たなー。
絵造り的にも、スタッフ、結構意欲的な試みをしてたしね。
どかは最初の長回し、好みだったなー。
あおいたんのオーラをちゃんとこぼさずすくい取ってたのが、
まあ、何と言ってもいちばんだけどー。

あおいたん、今度は舞台なんだよねー「星の王子さま」。
でもなー、チケット、高価いよぉ、
しかもミュージカルだしなあ、びみょー。
でも演出白井晃だしー、ちょっと白井サン、頑張るかもだしなー。
んー・・・ともかく・・・

あおいたん、らーぶー。

(あともすこし続く)


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