un capodoglio d'avorio
passatol'indicefuturo


2003年07月04日(金) ひとつだけ

イラク特措法案、衆院で無事、可決。

つかこうへいはかつて言った。


  相手の立場への想像力を教養と呼ぶのだ


自衛隊の隊員は彼の地で銃口を向けるとき、
その対象への想像力を持つことができるのか?

イエローケーキをむざむざ食べさせられた国民の気持ちを、
ちゃんと汲んでやることができるのか?


全てが、取り返しのつかないことである。
取り返しがつかないことは、本当にもう、
どうにも、ならないことなのだ。

でもどれだけ、取り返しのつかないことになっても、
まだ、つかなくないことが、僅かでも残っているはずなんだ。
それを探して、そこで、ふんばること。


でも、ひとつだけ。

池澤夏樹が指摘したことは、断じて正しい。
小泉純一郎の論法は、ファシズムのそれである。
ヒトの言うことには耳を貸さず、
自分の意見を、キッと前を見据えて、話すだけ。
国会での党首討論が一番顕著、そこには議論はおろか、対話すらない。

どかはアイドルも好きだしカリスマも好きだ。
でも政治にアイドルはいらない、カリスマもいらない。
政治にだけは、アイドルやカリスマを持ち込んではならない。
政治には、ちゃんと相手の意見を聞いて、自分の意見を述べて、
それぞれの価値観をすりあわせながら、着地点を根気よく探す、
そういう普通に対話ができる、論理的な「凡人」がいればいい。

政治に、カリスマは、いらない。


どか |mailhomepage

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