un capodoglio d'avorio
イラク特措法案、衆院で無事、可決。
つかこうへいはかつて言った。
相手の立場への想像力を教養と呼ぶのだ
自衛隊の隊員は彼の地で銃口を向けるとき、 その対象への想像力を持つことができるのか?
イエローケーキをむざむざ食べさせられた国民の気持ちを、 ちゃんと汲んでやることができるのか?
全てが、取り返しのつかないことである。 取り返しがつかないことは、本当にもう、 どうにも、ならないことなのだ。
でもどれだけ、取り返しのつかないことになっても、 まだ、つかなくないことが、僅かでも残っているはずなんだ。 それを探して、そこで、ふんばること。
でも、ひとつだけ。
池澤夏樹が指摘したことは、断じて正しい。 小泉純一郎の論法は、ファシズムのそれである。 ヒトの言うことには耳を貸さず、 自分の意見を、キッと前を見据えて、話すだけ。 国会での党首討論が一番顕著、そこには議論はおろか、対話すらない。
どかはアイドルも好きだしカリスマも好きだ。 でも政治にアイドルはいらない、カリスマもいらない。 政治にだけは、アイドルやカリスマを持ち込んではならない。 政治には、ちゃんと相手の意見を聞いて、自分の意見を述べて、 それぞれの価値観をすりあわせながら、着地点を根気よく探す、 そういう普通に対話ができる、論理的な「凡人」がいればいい。
政治に、カリスマは、いらない。
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