un capodoglio d'avorio
2003年07月05日(土) |
THE HIGH-LOWS @日比谷野外音楽堂 |
初の、野音、またはやおん、またはYAON。 ぜったい一度は、ここでハイロウズを聴きたかった。 ささやかな夢が、やっと適うー。 梅雨真っ最中、日中はスカッと晴れてた空が、 夕方から曇天が立ちこめてきて・・・持つかなあ? まだ周りは明るい、進む客入れ、 誰からともなくいつものかけ声がなる、ああ懐かしい・・・
GO, HIGH-LOWS, GO シャンシャンシャン(←注:手拍子)!! GO, HIGH-LOWS, GO シャンシャンシャン !!
そして、メンバー、登場! あ、ヒロト、頭丸めてるー、ブルハ時代みたいっ。 以下、きょうのセットリスト(少し自信ないけど)。
1.TOO LATE TO DIE 2.曇天 3.青春 4.ハスキー(欲望という名の戦車) 5.罪と罰 6.つき指 7.マミー 8.毛虫 9.アメリカ魂 10.俺たちに明日は無い 11.エクスタシー 12.ななの少し上に 13.一人で大人 一人で子供 14.いかすぜOK 15.夏なんだな 16.不死身のエレキマン 17.ミサイルマン (以下アンコール) 18.モンシロチョウ 19.相談天国 20.真夜中レーザーガン
気づけば夜のとばりが降りていてその中に、 ステージ上のメンバーは浮かび上がっている。 森の向こうからやってきて、バンドの爆音をなぜて吹き抜ける初夏の風。 天井が無いっていうのも、いいなあ、 だってこう、ハイロウズとヒロトのベクトルが分かりやすくていい。
誤解を恐れずに言うと、ハイロウズとボーカル・甲本ヒロトは、 オーディエンスとのコミュニケーションを求めることは一切しない。 ファンのみんなに何かしらのメッセージを伝えようとすることもしないし、 ファンの熱狂喝采を受け取ることを志向することもしない。 そう言う意味で、ハイロウズは本当に「自己中」を地で行っていて、 いわゆるエンターテイメントではないのは明らかだ。
でもね、この「自己中」、ただの「自己中」ではない。 それこそアンプも観客席も夜空も映り込むくらいにピカピカに磨き上げた、 最高の「じこちゅー」なのだ。 ハイロウズのメンバーとヒロトは、ひたすら、 ステージ上でぐるぐるぐるぐる回り続ける。 ぐるぐるぐるぐる回って回って、パンッと弾けて、 光は真っ直ぐ、真上に、夜空に向かって放射される。 彼らのベクトルは地表に対してあくまで垂直に屹立する。 ヒロトのあのブルハ時代から有名な、 「訳の分からない、無駄な」ステージアクションは、 メッセージを伝えるためには明らかに非効率的だ。 あんなに首を振ったり肩が痙攣したり開脚ジャンプしたりせえへんかったら、 もしかしたら2時間くらいライブを続けられるんちゃうん? と思うけれど、ヒロトにしてみればエネルギーをそういうアクションに 投入しなくてはならない、例えライブ時間が80分が限界だとしても、 それは絶対そうでなくてはならないのだ。
何のために? 光を空高く、まっすぐ放射するためにだ。 じゃあ、詞と音は? それらは超高速で駆け上るときの摩擦で光り輝く、スターダストだ。
観客は観客で、その真っ直ぐ垂直に伸びるベクトルの、 あまりの(光速に達するまでの)加速度に度肝を抜かれ、 そしてそのまま空に心を吸われていっちゃうのな。 流れ星が目に入ったら、願い事を唱える前にそれを目で追ってしまうように。 無意識のうちに、ヒロトとハイロウズの放つ光に、 私たちは勝手に巻き込まれて、勝手に空高く上がっていく。
この「勝手に」というところこそが、 「ハイロウズ経験」の有する最も大きな美点であるとどかは思う。 すごい、オトナなんだよ、ハイロウズは。 その辺のJ-PUNKだか何だか知らないけど、 がちゃがちゃやってるオコチャマバンドとは東京と天竺くらい、 それくらい大きな開きがあるのだ。
ハイロウズも、観客も、それぞれ、視線が交わらない。 でも、それぞれ自分の立ち位置にいながらまっすぐ上を見上げて、 どんどん自分の心を高く飛ばすだけ。 おたがいがおたがいにもたれ合ったり、寄っかかったり、 押したり、引いたり、助けたり、励ましたり、そんなの一切、無しね。 そういう、潔さと、冷たさ。 冷酷と、凛々しさ。 結局、一人でいることしかできないということ。 隣に誰かがいるほうが、もっと寂しくなるということ。 そんなところからしか、何も始められないけれど、 そこからならば、ほんの少しだけ、何かやれるかもしれないということ。 ハイロウズが福音をならすことができる場所は、 辛うじて残されたそんな小さな場所なのだ。
しかし、少しでも「場所」があれば、空には無限の星空がある!
いきなり3曲目に「青春」が来たのにビックリ。 もう死ぬほど繰り返し聞いてきたはずなのに、 「青春」のあのイントロが鳴るだけで泣けるのはなぜだろう。 すぐに「ハスキー」に入ってしまうから、 どかのちんけなスタミナ配分はふっとんでレッドゾーン。 9曲目の「アメリカ魂」は、某首相に聴かせてやりたいなーと思う、 あまりにタイムリーな響きにずーっと笑顔で縦乗りで。 12曲目のヒロト作のナンバーのなかの最高傑作「ななの少し上に」、 14〜15曲目の「いかすぜ」から「夏」への”アクエリアス繋がり”も、 かっこよすぎて、鳥肌が立ちっぱなし。 ニューシングルの「夏なんだな」はやはり、もしかしたら、 ハイロウズのスタンダードになるかも知れない名曲だ。
しかし何と言っても、7曲目の大傑作スローナンバー「マミー」につきる。 野音のスタンドで、薄暮の中、風に吹かれながらあの、 マーシーのギターフィードバックを、ヒロトの絶唱を耳にして、 心を動かされないヒトは、ぜったい、ぜったいにいない。 それまで縦乗りで痙攣していたスタンドが、ピタッと足をとめ、 もちろん手拍子もなく、歓声もなく、ただ、4,000人の観衆が立ちつくす。 日比谷の森は福音で満たされ、どかは空へと一気に駆け上がる。 足下でポカリのペットが倒れても、イタリア語の再帰動詞がうざくても、 ディディ=ユベルマンの著作が理解不能でも、頬を涙が伝っても、 いまはただ、この瞬間はただ、この「流れ星」と一緒に。
そして、アンコールが終わるまで、雨は一粒も降らなかった。
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