un capodoglio d'avorio
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2003年06月05日(木) 藤本企画「魂込め」1

都内某所にての公演、ある方のご厚意で観に行ける運びに
(本当にありがとうございました、感謝いたします!)。
演出の藤本聡サンは、つかこうへいのお弟子サン筋にあたるヒト。
いままで気になっていたのだけれど機会が無くて。
今回とても楽しみにしてきたのは、何と言っても主演、金泰希サン!
いまだどかの中には余韻が残っている、水野役の熱演in「熱海」。
つか戯曲のヒロインはこのヒトしかいない。
どかをしてそこまで信じ込ませるあの演技をもう一度。

と、思っていたのだけど、やっぱりこれはつか戯曲ではないし、
別の泰希サンが見られるかも知れないと思いつつ、幕は上がる。

芥川賞作家の日取間俊の作品が原作。
「魂込め」、まぶいぐみ、と読む。
それは魂が抜け落ち、精気を失った身体に文字通り魂を戻す儀式のこと。
あるひとりの男の肉体から、魂が抜け落ちたそのときから、物語は始まる。
男の中には、アーマンと呼ばれるオオヤドカリが巣くい、
日に日に衰弱していく。
親代わりのひとりの女性・ウタが魂込めを始めるが、
まわりの人間の思惑はウタの誠意とはかけ離れたものであった。
しかし、それらの思惑は沖縄を巡る様々な事象が背景にあって・・・
と、いうのがストーリー。
沖縄の絶望と悲劇が、現実と生活が、ぐるぐるうずまきになって、
たくさんのヒトが傷つけて傷つけられて、という展開はまさに「つか」。

そうなのだ。
思っていたよりもとても「つか」っぽかったのだ。
そしてそれなりに深い悲しみや深い痛みがそこにある戯曲も、
役者の高いテンションや長ゼリが連発する演出も、
純粋につかこうへいの劇作を間近でつぶさに見ていたと思われる、
藤本サンだからこそできるコピーなのだろう。
でもねー、つか路線ではやっぱり、つかこうへいは越えられないよー。
まず、何よりも、悲しみも痛みも、
藤本企画では「それなり」という印象を持ってしまったどかだった。
もちろん、バカにしているわけではない。
普通、ちゃんとした悲しみや痛みを客席に届けることは、
とても難しいことで、それを十全にまっとうしようとしていた
役者たちはなかなか好感が持てたもの。

でもね、つかはそのさらにもう一段深い悲しみと、
もう一段高い志をわしづかみにするという不可能へ、挑むんだ。
この「もう一段」を求めることは普通は有り得ない展開、
でも、そこを妥協しないから、どかはつかがすごいんだと思うの。
沖縄の「辛さ」も「悲しみ」も「弱さ」も良く分かった。
それをそのまま、きちんと伝えることはできている。
でも、つかならその下に潜む、大いなる「悪」を、
高らかなるまぶしい「希望」を提示できていたんじゃないか。
そんな想像を止められない。
だから、藤本企画にはつかの模倣に留まるのではなく、
全く新しいスタイルをどかは求めていたのかも知れない。

それでも、どかがつかこうへいを知らなかったら、
この戯曲は充分すぎるくらい衝撃的だし、
良い出来だと絶賛していたかも知れないんだけど。

役者サンについては明日の日記で。


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