un capodoglio d'avorio
2003年06月04日(水) |
コンプリシテ「エレファント・バニッシュ」 |
マチネ観劇@世田谷パブリックシアター。 最初の一般発売では、うかうかしてて獲れなかったチケ、 追加で売り出された「ベンチシート」に滑り込んで、 前から二列目中央という位置にびっくし。 ロンドンの劇団・コンプリシテの演出家、 サイモン・マクバーニーが日本の役者で作る舞台、 原作は、彼の地でも人気の村上春樹の短編集「パン屋再襲撃」。
マクバーニーは野田秀樹が親交があって、 野田がことあるごとに褒めそやしてたから興味があった 「イギリスの伝統に反した、フィジカルな作劇」。
そしてもちろん、村上春樹作品の舞台化ということも、 村上春樹ファン(マニアではないのよ)のどかとしては気になる。
でも、今回、観に行くことを決断した最も大きいポイントは、 主演の二人の役者である:吹越満!高泉淳子! どかの中で至高のランクに位置される二人が同時に見られるんだから、 その他演出ストーリーがどうであろうが、観に行ったことでしょう。
さて、その短編集からチョイスされた作品は、 「象の消滅」と「パン屋再襲撃」、 「タイトル不明(眠れなくなる女性のはなし)」だった。 <文学>というのはある意味無敵な表現手段であり、 時間、空間、その他全ての障壁を行間で飛び越えることができる。 それを時間、空間、その他全ての障壁にとらわれまくる <演劇>というメディアで再表出を目指すのだからのっけから大変。 な、はずなのだが、マクバーニーはその大仕事を楽しんでしまう。
無数に浮かぶ蛍光灯や、可動式の小さな複数のモニター。 必要最小限の小道具や、役者をつり込むワイヤー。 そんななんやかやが黒い素舞台にボゥっと浮かぶ。 技術に溺れるのではなくとまどうのではなく、 それを手の内にいれて出し入れすることの効果を楽しむ余裕、 言い意味での演出家の余裕が感じられる。 その「アーティフィシャル」な空間のまにまに、 役者がするりと顕れて、ふぅっと消えて、物語は進んでいく。 <文学>における行間にあたるものを上手に生み出して、 それはまるで魔法みたい、ちゃんと、村上春樹してるんだ、びっくし。
<演劇>が<文学>に負けてたまるか
というマクバーニーの挑戦というか気概というか、 そんなのをどかは感じてみたりして。 つかが役者の汗とシャウトでものがたりを進めるとして、 野田が役者の言葉遊びとスピードでものがたりを進めるとして、 マクバーニーは役者や小道具が全て連関しあう空間ごと、 ものがたりを包摂していく感じ。 そうして、この舞台で<演劇>は、 <文学>に対して互角以上のリアリティを生み出して見せた。
例えば、どかが前に見た宮沢章夫の「TOKYO BODY」も、 映像を駆使して、凝ったステージングを志向し、物語を解体して、 「現在のリアリティ」へ形而上的に挑んだ意欲作だった。 そして、この宮沢サンの「現在のリアリティ」への挑み方が、 マクバーニーのそれに近かったんじゃないかと思ったりした。 結果は、マクバーニーの圧勝、 それはものがたりを捨てたものと拾ったものの違い以上の違いがあった。 村上春樹の作品に潜む、現代のリアリティを、 21世紀の役者の身体を使ってもういちどあらいだせたという成功は、 日本人ではなく、イギリス人という立場だからこそできたのだろうか。
ま、ここから先へ進むと村上春樹の原作への批評が混じってくるから、 一歩引いてしまうのだけれど、 そしてどかはこの短編集を読んでなかったし(だからマニアじゃない)、 けれどもマクバーニーやそして現在のイギリスにおいて、 村上春樹が高く評価されるのは良く分かる気がする。 「統一性」という概念と「不条理」という概念は、 それが喜劇的であるのとどうじに悲劇的であるという意味合いで、 21世紀になってもまだ、有効なのだなあと、カーテンコールしながら思う。
でも、よくよく舞台を振り返ってみると、 やっぱり、これは吹越サンがいないと成り立たない舞台だわ。 吹越サンは「ソロアクト」や「ニンゲン御破算」の時みたいに、 その不条理な身体を爆発させてはいなかった。 けれども、その普通な身のこなしの中に、絶妙なテンションを感じさせて、 やはりたぐいまれなる得難い舞台役者だった、相変わらず、すごい。 舞台装置の作り方は有り得ないほど洗練されてるから、 ふっと見逃してしまいそうになるのだけれど、でもひそかに、 でもちゃんと、この舞台の説得力はひとえに吹越サンの身体に拠っていた。 抑えた演技とは単にテンションを落としたそれだと 誤解している役者は、生の舞台では通用しないよねー。
高泉サンは遊◎機械ラストショウの「Club of ALICE」以来。 すっごーい、楽しみにしていたのだけれど、うーん。 吹越サンと違って演出と自分との距離感を捉えることでいっぱいみたい。 あんまし余裕が感じられないかなあ。 持ち味の軽快さが、舞台装置のまにまに絡め取られてる感じ。 それでも他の役者と比べると段違いなんだけど。
堺雅人サンは初見だけど、本当にさわやかクンだねー、ハンサム。 どかが女の子だったら、絶対、こんなタイプにだまされそう。 健闘してたなー。
宮本裕子サン、カワイかったあ、らぶ、まあまあ健闘。
全体的に良かったし余韻も沁み渡るいい舞台。 でも、どかは吹越サンと高泉サンをもっと解放した舞台が観たいなって。
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